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17年に及んだ山形浩生の「CUT」連載が終了

山形浩生の「CUT」連載が終了した。ワタシはかつて渋谷陽一信者で、「CUT」は創刊号から(たまに買い、主に立ち読みで)目を通してきた雑誌だが、山形浩生の連載が一番の目当てだった。その連載が終わり、氏が書くように「ジャニ系男性アイドル中心の雑誌になる」のなら、もうこの雑誌を手にとることもないだろう。

ただここ数年、氏の連載を以前ほど楽しめなくなっていたのは正直に認めないといけない。彼が変わったのか、ワタシが変わったのか。

両方変わったに決まっている。

それでもこの連載を通じ、いろんな面白い本を教えてもらったのは間違いない。以下、個人的に思い出深い回を紹介することでこの連載を勝手に振り返ろうと思う。

掲載号については、インデックスページと個別ページの記述にズレがあったりして正確を期すことができないので割愛させてもらう。

1991年~1992年

『ブッシュ・オブ・ゴースツ』と『ドバラダ門』は偉大なほどバカバカしい。
記念すべき連載第一回目だが、これが山形浩生との出会いだった。文中紹介されるバーンとイーノのコラボレーションは昨年再発された
ぼくの秘密を教えよう:コンサルタント業究極の暴露本。
ワインバーグ先生のことはこの書評で知った。大学の図書館で読んだら素晴らしい本だったので、必ず彼の書評に目を通すようになった。
世界のオナニスト諸君、団結せよ! この世の終わりを目指して!
何よりタイトルに大笑いした。昨今の非モテ言説の隆盛を見ると、これや「セックスの終焉」は示唆的な文章だったのではないか。

1993年~1994年

エンドユーザのためのドラッグ入門……と言っても、敢えて勧めはしないけれど。
この書評を生協の本屋で読んだ後サークルの部室に行ったら既に買っていた人がいて笑ったのを思い出す。青春18きっぷで一日がかりで帰省したときに読んだっけ。この名著の著者青山正明は、自殺する前「俺、山形浩生と柳下穀一郎には絶対かなわないよ」ともらしていたそうだ。
ニヒリズムと孤独と「もう一つの道」。
山岸凉子日出処の天子』の書評だが、自賛している通りの質。ワタシも文庫で全巻揃えたが、最終巻は読みながら泣き通しだった。
罵倒と茶化しの効用/非効用 ――おまけにBeavis & Butthead讃。
ポール・クルーグマンを意識するようになったのは、この書評からだったからか。「あっちこっちで無用な茶々ばかり入れる」という編集者の指摘は、現在も当てはまるだろうか。

1995年~1996年

「市場制民主主義――選挙権を売ろう!:T.N. 君に捧げる、おれの政策提言。
民主主義批判の文章も何度か出てきますね。次回とあわせてどうぞ。
まだ見えない「平坦な戦場」としての日常:または、岡崎京子許すまじ。
振られたことを大っぴらに書いちゃって、いい歳してみっともないねと鼻で笑ったが、氏がこれを書いたのとほぼ同年齢のとき当方も失恋し、この文章のことを思い出したりした。
さよならレイ・ブラッドベリ――悲しいけれど、ぼくはあなたを卒業していたようです。
これは個人的なチョイス。可能性を諦めたはずの人間として。

1997年

メディアは気遣いを殺し、世界をほろぼす。
ワタシもこの書評を読んで戦慄した覚えがあるが、『"子"のつく名前の女の子は頭がいい』に対する評価はその後変わっているのに注意。
Do Your Homework!――思いつきの仮説だけでは、脳も心もわからない。
ワタシの茂木健一郎という人の評価は、現在までこの書評に書かれる内容と変わっていない。
かなしいウィリアム・S・バロウズ――そして駆け足のマルチリンガル環境。
山形浩生の文章を書籍で最初に読んだのは、バロウズの『裸のランチ』解説だった。バロウズに関する仕事が後に『たかがバロウズ本。』に結実するのはご存知の通り。

1998年

この年はじめて(かなりびびりながら)氏にメールを送った。「3行の壁」を突破したのはいつだったろうか。

投資でよりよい人生を!――『ゴミ投資家のためのビッグバン入門』
たまに登場したジェニファー・キャラハンが架空の人物であるのを知らない人は多い。
それはあなたの日常を照らし、幾らか明澄にしてくれることだろう。
コッパードを読んだことないくせに書かせてもらうが、とても好きな文章である。
いつものお説教を別のかたちで読み直すこと。
この文章を読んだとき、ここには書けない曰く言いがたい感情がわいたのを覚えている。この文章に登場する七尾藍佳さんは、現在ラジオパーソナリティをされているそうだ。

1999年

>バングラデシュの山椒魚たち。
良くも悪くもいろいろひっくるめて氏らしい文章だと思う。
科学と文明と好奇心
好奇心(特に科学に関する)は、このCUT連載を通じて何度か登場するテーマである。森山和道さんのインタビューは ScienceMail として現在も続いている。
スタニスワフ・レム『虚数』序にかえて
人間と自由についての考察もこの連載を通じたテーマになっている。当たり前か。

2000年

肩をすくめるアトラス。
これはウェブ版のほうが圧倒的に面白い例。翻訳者にやり返した挙句、翻訳のチェックまでさせられているミイラ採りぶりが可笑しい。
ポストモダンに病んで/夢は枯れ野をかけめぐる。
ワタシは80年代子どもだったため、また頭がよくなかったためポストモダン方面にほとんどはまらなかったのは幸運だったと思う。
人々の格差は、しょせんすべては初期条件のせいなのかしら。
邦訳『銃・病原菌・鉄』の受容にこの書評が一役買ったのではないか。
でも……ぼくたちはそんなに悟りきってはいないのだもの。(インテグラル・ディレクターズカット完全版)
この書評を巡って散々やりあった宮崎哲弥が後に文庫版『新教養主義宣言』の解説を書いているのは面白い。
人種とスポーツと差別について。
運動能力の優劣と遺伝子が関係するならば、それなら知能はどうなのだ? 男女ではどうなのだ? という疑問は、この後も何度も登場する問いである。

2001年

かわいそうな星占いと現代人。
始まったばかりの小田島久恵の連載を容赦なくボコる大人気ない回だが、まぁ仕方ないでしょう。
記憶のハッシュ関数に作用する小説。
恥ずかしながらナボコフの小説も未だほとんど読んだことない。
恋愛教からの解放から資本主義否定へ。
小谷野敦の本。猫猫先生の文章はブログを読むだけでお腹いっぱいになってしまうが、著書も読まないといかんな。

2002年

この年、初めて山形浩生にお会いした。

脱・恫喝型エコロジストのすすめ:これぞ真の「地球白書」なり。
後に氏の訳で『環境危機をあおってはいけない』が出る。
あなたの食べ方を変えるかもしれない。
氏が自炊を始めた話が出てくるが、それまですべて外食だったのだろうか。
あなたの娘は、本当にこんな作り話のネタにされたかったのでしょうか。
この文章の冒頭にもあるが、当時氏は朝日新聞の書評委員を務めていた。複数の媒体で同じ本について同じ感じの書評を書いているのを読み不満に思い、それをご本人に述べたことがある。それが過大な要求だったのは今では分かるのだが(下に続く)

2003年

マグル科学の魔術的起源と魔術界の衰退に関する一考察。
(上からの続き)それでも、この『磁力と重力の発見』など同じ本についてまったく違う切り口の書評を書くという高いハードルを超えることに成功している例もある。この本に関しては、個人的には朝日新聞版のほうが好きだが。
狂気の自作プラネタリウムの教訓と可能性など。
取り上げる本のとんでもなさを分かる人がちゃんと受け止めた好例。
クルーグマンのコラムがつきつける現代マスコミの問題など。
ただワタシには「"the gang" の一員ではなかったから」だけが理由だとは思えない。他に何があるかと言われると即答できないが、そんな単純な図式ではないのではないか。
記憶と忘却の物語。
山形浩生はある種の小説について書くとき、独特の余韻の残る終わり方をすることがある。これもそうだ。

2004年

この年、氏は不惑を迎えたが、なぜかその記念すべき日に宴席を共にしている。

もはや「問題」を描くだけじゃ小説は成り立たないのだろう。
これといい次回といい、ブンガクについて身も蓋もないことを書くものだ。以前はそういうところにムッとしたこともあったっけ
「ありえたかもしれない世界」にぼくは存在するか? 確率的世界観をめぐるあれこれ。
小島寛之はよく分からないところがあって、ちょうど Wired Vision でブログが始まるようだから読んでみることにする
きみは進化のために何ができるか? バカやブスの存在理由について。
一瞬勇気付けられたが、一瞬でしかなかった(笑)

2005年

発展途上国が抱える問題の絶好の見取り図みたいな本。
氏の専門分野ですな。反グローバリゼーション運動への憎悪も何度も出てくる話題。
人間の合理性の限界を見きわめるための本。
この書評は『誘惑される意志』(asin:4757160119)翻訳の仕事につながる感じ
魚になること、物語になること。
すごく読みたい気にさせる書評。実際はまだ読んでないのだが……

2006年

この年、氏が監修した書籍(asin:4903267458)に執筆した関係でお目にかかる機会があったが、これが最後かもと思うと感極まり、いくつも訳の分からないことを口走ってしまった。

『マオ』における毛沢東の思想形成史の不在。
特定のイデオロギーの枠内に留まることなく、また書籍の衝撃に浮かれない書評。次回とあわせてどうぞ。
外部のない閉じた静物画の悲しみについて。
「デス博士の島」はワタシもとても好きな短編なのだけど……本書刊行を記念した柳下×山形のトークショーでは、「山形は物語には救われないんだろ」という柳下さんのお言葉が。
ソ連強制収容所の凄惨な歴史と教訓について。
ソ連邦という形式の社会主義は、少なくともその初期には強制収容所なしにはたちゆかなかった」というのにはやはり驚いた。
小説と抑圧の共犯関係から本書は目をそらしてしまう。
容赦なく冷や水をかける書評だが、ワタシはこの本の題名を見たとき、安部公房の「テヘランドストエフスキー」(『死に急ぐ鯨たち』収録)という内容も『テヘランでロリータを読む』と符合する文章を思い出したのだが、両方に言及した人はいるのかしら

2007年

マネーロンダリングの手口と、それがぼくたちにとって持つ意義。
これはすごく面白そうな本である。
ピタゴラ装置の教育効果。
これも「科学と好奇心」に関する文章。こういうのは単にびっくりさせるだけ、つまりブラックボックスになってしまってはダメなんだろうな。
アレクサンドリアに別れを告げよう。
ウェブにも公開された。ロレンス・ダレルアレクサンドリア四重奏I ジュスティーヌ』の書評で、「今月の一冊」は最終回に相応しい終わりを迎えた。

連載お疲れ様でした。

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