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【ロックスターも】デヴィッド・ボウイ、ドラッグの効用と弊害を語る【人間だもの】

10年ぶりの新譜が待ち遠しいデヴィッド・ボウイだが、先日彼が薬物に手を出すなという忠告は聞き入れるべきだったと語る記事を読み、ちょっとなんだかなと思った。

「18歳の時に聞いておくべきだった最良の忠告はなにかって? 薬物に手を出すなってことだよ」

「薬物をキメるようになる前、キメた時、そしてやるようになった後、ずっと同じことを言われたよ。そして、言われてたことは正しかったよ」

「ぼくは薬物に人生を奪われていたからね。もう多分このまま死ぬんじゃないかと思ってたし、全部いずれ終わる時がくるって覚悟もしてたんだよ。でもね、ぼくのアシスタントだったココがぼくを救ってくれたんだよ。彼女の説得があって、アメリカを離れてベルリンに移ることになったんだ」

デヴィッド・ボウイ、薬物に手を出すなという忠告は聞き入れるべきだったと語る (2013/01/22) 洋楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)

全部正論じゃないか、どこがおかしい、と言われるかもしれない。

そういうわけで、およそ15年読者だった雑誌 rockin' on から記事を発掘する「ロック問はず語り」、今回は rockin' on 1996年8月号に掲載されたデヴィッド・ボウイのインタビューを取り上げさせてもらう。

このインタビューは、彼の代表曲10曲について語りながらキャリアを辿る形式のインタビューだが(インタビュアーは増井修)、ドラッグの功罪について彼らしいユーモアを交えながらとても率直に語っているのが印象的である。

●(笑)えー、で、『ステーション・トゥ・ステーション』の"TVC15"。えーと、実はこの頃になると、あなたの薬の習慣もかなりひどくなっていたわけですけど、その反面、音楽面では特にその支障が出ているようにはどうしても思えないわけでして――。

「っていうか(笑)、むしろ非常によかった、あははははは。うん、だから、息子にはいつも言ってるよ、『薬は自分をだめにする、薬などやってなくても作品はちゃんと書ける、やってない方がよっぽどまともにやれる』なんていう世間の戯言は全部でたらめだぞとね」

●あはははははは。

「っていうか(笑)、八十年代にはちょっと真剣に疑いたくなったよ(笑)。『どうも先が見えてこないな、もう一回手を出すか』なんてね(笑)」

●(笑)。

「でも、もう大丈夫です、先生」

のっけからかましてますよ、ボウイさん(笑)。確かに Station to Station は、前作ほどアメリカ志向べったりでなく、後のヨーロッパ回帰を予感させるクールさが垣間見える傑作である。昨年読んだインタビューで、ブライアン・イーノが(自身は参加していない)このアルバムを絶賛しているのを読んで、イーノってフェアな人だなと思ったものである。

STATION TO STATION

STATION TO STATION

「ははっ。まぁ確かに、あの薬の迷宮からまた元に戻るにはほんとちょっと時間がかかったよね。でも、薬をやってよかったと僕は思う。本当にそう思うよ。だからといって、必ずしも誰かに勧めたいわけじゃない。これは飽くまでも自分で決めることなんだ。だから、人差し指を立てて『やっちゃだめだめ』って説教して回るつもりもさらさらないんだよ。僕としては薬を通して個人的に達成できたものも確かにあるからね。(中略)それに、ある風景を見た時に、その対象へのいろんな視点や深みをもたらしてくれたのも薬だと思うんだ。薬を経験してきたせいで、自分の視点を対象に合わせていろいろ調整してはさまざまなパースペクティブを持てるようになったんだよ。で、アーティストにとってこれはすごく大切なことだからね。そういう意味じゃまったく後悔してないけど、肉体的、心理的にこうむったダメージについてはものすごく後悔している。特にそう感じるのは、どんな人間ともちゃんとした関係を持つことができなかったからなんだ。特に息子とね。だから、それなりの代償もまた伴うものではあったんだよ。(後略)」

力強くドラッグの効用を説いているよ! 当然ながらその弊害もちゃんと語っているので誤解なきよう。

●では、ベルリン時代とアルバム『ロウ』の"サウンド・アンド・ヴィジョン"に移りますが、この時期に自転車屋の二階で隠遁生活に明け暮れる気になったのは一体どうしてだったんでしょうか?

「まぁ、だから、あの当時のイギーと僕のありさまは隅々まで知られていることだし、僕たちももう膨大に問題を抱えちゃって、薬の弊害もほんとにひどかった。だから、誘惑がちらつくような環境から抜け出すべきだと真剣に考えてどっかで体をきれいにしようと二人で決心したわけだよ。それでもって勢い勇んで移り住んだところが何とヨーロッパにおけるヘロインのメッカだったっていう、あはははははは」

彼とイギー・ポップがベルリンに移り住むという選択も結構とんでもないものだったわけだ。これを知ると、冒頭に引用されている現在のボウイの発言も少し皮肉に思えてくる。

●あははは。人生ってやっぱり因果なもんなんだなぁ。

「いやぁね、もうほんとに知らなかったんだ。そんなことつゆ知らずだよ。だけど、着いてびっくり(笑)」

●(笑)ほんとに?

「ほんとにまったく。それでも、頭が変になりそうな禁を守って、二人ともよく頑張ったと思うよ。自分にしても、ほんとにあの時は頑張ったよ。あの時の僕は偉かったよ。薬と心理的な傷の厄払いをしっかりやり遂げたと思う。(後略)」

確かに二人ともよくやった。ボウイは Low"Heroes" という代表作を立て続けに発表したし、イギーもボウイの協力により名盤2枚をものにした。

そうそう、この二人のベルリン時代を描く伝記映画が製作されるみたいで楽しみである。

Low

Low

Heroes

Heroes

しかしね、このインタビューでは最終的にドラッグを止めたのは1987年だと言っていて、実は80年代に入っても(彼の表現を借りれば)社交的なレベルで嗜んでいたんですね(80年前後はかなりのアル中だったという証言もある)。このあたりは海外ミュージシャンのインタビューを読んでると結構面白くて、ハードドラッグは止めたぜ、でもグラス(=マリファナ)は別だよ、とかそういうのもあったりする。

80年代中盤から彼はポップスターとしての人気と裏腹に創作面で危機を迎えるのだが、当時のドラッグと音楽的方向性についての悩みについて、ボウイはモンティ・パイソンを引き合いにして語っている。

モンティ・パイソンに出てきたコントにも似た状態で、それはある二人組が店主を脅すコントなんだけど、店主が金を出したら店をたたき壊すぞと脅して、よく考えたらそれじゃ何だかつじつまがあわない。じゃあ、金を出さなかったら店はたたき壊さないと脅したら、やっぱりこれもだめだ。それで三つ目の案として、おまえが相棒に金を出さないのなら、おれが店をたたき壊すてことで落ち着くんだけど、そういうウスノロなプロセスを経て、だんだん頭が整理されてきてやっとわかったのは、実験的な音楽は積極的にやって、けれども薬はやらなければいいんだってことだったんだよ。

さて、ここでモンティ・パイソンに詳しい人に質問である。ここでボウイが語っている話って具体的にどのスケッチのことなんでしょう?

パイソンのこととなれば、大抵のスケッチなら第何シーズンでやったものかくらいまでは答えられる自信があったのだが、今回これを再読して(最初読んだ当時はパイソニアンではなかった)やはり分からなかったのでこの場を借りて質問させてもらう。ご存知の方、教えてください。

The Next Day

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