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ウルフ・オブ・ウォールストリート

本作の評判は聞いていたが、正直観に行かないかなと思っていた。理由は本作もマーティン・スコセッシレオナルド・ディカプリオと組んだ作品だったからだ。

何度も書いているが、このコンビの初めての作品である『ギャング・オブ・ニューヨーク』は煮ても焼いても食えないどうしようもない映画で、一人で場をもたせるダニエル・デイ=ルイスがいなかったら金返せレベルだった。

これでワタシの中でスコセッシの評価は地に落ちたし、このコンビと聞くだけで観たい気持ちがなくなった。それに本作の3時間という上映時間も、トイレが近いという個人的事情があるワタシを萎えさせた。近年のハリウッド映画の長尺化はなんとかならんもんかと思うし、3時間はいくらなんでもやり過ぎではないか、どんだけ冗長な映画を見せられるんだ、と危惧した。

しかし、一方で本作が『グッド・フェローズ』以来の映画という話も小耳にはさみ、あの映画が好きな人間としては観に行くよりなかろうと気を変えた。

結論から書くと、とんでもない映画だった。大傑作だった。でも最後の15分間は辛かったな!(ワタシの膀胱的な意味で)

本作はジョーダン・ベルフォートの半生の映画化だが、冒頭からハイテンションでまくしたてる感じに、前述の通り乗り気でないワタシは空回りというか、この映画のリズムに乗れるか不安だったが、これがマシュー・マコノヘイ!(この映画で披露し、後にも何度か行われる胸を叩いて声を出すアレは、彼が撮影前にやる儀式に起因するらしい)登場あたりからどんどんよくなるのだ。そして3時間最後まで突っ走りっぱなしである。最高だ。

とにかくセックス、ヤク、金、強欲に満ちた、台詞の端から fuck 連発な映画である。来日したスコセッシは確か、この映画を教訓にしてみたいなしおらしいことを言っていたが、本作が素晴らしいのは、優れたアートがなしうる価値観の転倒である(映画で同じことやった例にスタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』がある)。ラリって電話するジョナ・ヒルを、同じく過去最高にラリって死にそうになってる主人公が止めようとする場面の爆笑加減、司法の手が主人公におよびそうになったため、一度会社から身を退くことを決め、それを社員たちを前に話しだすものの、話しているうちに興奮が止まらなくなり前言撤回する演説シーンの感動加減といったら!

この徹頭徹尾強欲な詐欺師の悪徳を3時間にわたり描ききりながら、福祉国家の支持者を任じて恥じることがないワタシのような人間をもエキサイトさせる映画を作るスコセッシのパワフルさに敬服する。ディカプリオの本作の演技を観ると、『J・エドガー』『ジャンゴ 繋がれざる者』でみせていたフリーキーな演技は無駄でなかったと思わせる彼にとっての総決算とも言えるもので、ワタシは本作で彼はオスカーをとるべきだと思うし、本作でとれなかったらもう彼は何やってもとれない気がする。のだが、やはりとれないのかねぇ……。

ここにきて、何で自分がかつて『ギャング・オブ・ニューヨーク』にあれほど失望したのか分かった気がした。小学生の頃、よく分からないまま兄に連れられて観た『キング・オブ・コメディー』をのぞけば、あれが初めて映画館で観たスコセッシ作品だったのだ。ワタシはこれぞスコセッシというべき映画を観れると期待したし、『ギャング・オブ・ニューヨーク』の前評判はそれに相応しいものだった。しかし、実際はそうでなかった。

彼のこれまでの作風からすると少し離れる、しかし彼らしい映画愛を謳いあげた前作『ヒューゴの不思議な発明』に続き、本作によりワタシはこれぞスコセッシというべき映画をスクリーンで観れた。ようやくワタシの中でひとつ落とし前がついた気がする。ありがとうスコセッシ。

今年は映画館で観る映画がどれも傑作で怖いくらいだ。

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