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落下の解剖学

本当は『コヴェナント/約束の救出』を観たかったのだが、都合と上映時間の兼ね合いでこちらになった。

裁判劇に優れた映画が多いし、子供の頃に観た『十二人の怒れる男』で陪審制を知ったのをはじめ、ワタシは映画を通じて裁判というものを学んだところがある。ワタシ自身が人生で裁判を傍聴したのは二度だけだから日本の裁判についても大して知見があるわけではないが、それでも日本と異なる裁判制度を前提にする劇はやはり興味深い。

Netflix で観た『運命の12人』で、ベルギーにおいて20年近く時を隔てて行われた2件の殺人事件について同一の被告人に対して同時に裁判を行うのに驚いたのは記憶に新しいが、本作の裁判の場面で、証人弁論の間も被告がずっと立ちっぱなしで、検察や弁護士からの質問に答えるのには面食らった。フランスの裁判は実際こうなのだろう。

さて、その裁判劇で最後に暴かれる真相は! ……と本作を法廷ミステリー映画として観ると、肩透かしをくってしまう。そうした意味でスッキリする映画ではないからだ。本作のクライマックスとなる証言にしても、証言自体が綱渡りなのでかなりひきつけられるが、それが本当だったからだから何が断定できるという話だし、結局は本作において主人公の有罪/無罪を明確にジャッジできる材料は提供されない。

ならば本作はどういう映画かといえば、裁判を通じて露になる微妙にお互い妥協してきた夫婦の多面性な関係、小説家である主人公にとっての虚構と現実の境界を描くものである。

それにしても主人公夫婦の軋轢と破綻が法廷で明らかになる決定的な場面、そこでのやりとりがこれまでであれば男女逆であること、そして同情を買おうとしない主人公のあり方がとても現在的である。特に、夫婦喧嘩の中で主人公が、小説家としてものにならない夫を明らかに見切る表情を見せるところも怖いものがあった。

もっともワタシは、かつてベンジャミン・クリッツァーさんが書いていた「いつも思うのだが、世のクリエイターは女の不倫に甘過ぎる」というフレーズをまたしても思い出してしまったわけだが。

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