当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

Twitter はてなアンテナに追加 Feedlyに登録 RSS

山形浩生の『新教養主義宣言』が文庫化

新教養主義宣言 (河出文庫)

新教養主義宣言 (河出文庫)

山形浩生の初の著書『新教養主義宣言』が文庫化され、Amazon によると本日発売のようだ。この本に関しては、「勝手に新教養主義宣言」というページが役に立つ。

以前から書いていることだが、ワタシはサイトを始めてから(少なくとも)最初の三年間に書いた文章はどれひとつ残す価値のないゴミクズだと思っていて、この本の読書記録を読んでも同じ感想を持つのだが、そうした質の問題はまったく抜きにしても、この文章が何を書きたいのか自分でもさっぱり分からない。ただこの人を愛していたのだなというのは分かる。

現在はどうかというと、実はまだ二階にいるのです。

EMIのDRMとの決別は「水のような音楽」への大きな一歩か

もう散々話題になった EMI と AppleDRM に関する合意のニュースだが、とうとうここまで来たのだなと感慨深かった。もちろん今後の売り上げいかんでは、この英断も反故にされてしまうのかもしれないが、今回の発表は二つの意味で(氷室京介も推薦する!『デジタル音楽の行方』が描く未来に合致するものだ。

デジタル音楽の行方

デジタル音楽の行方

まず一つは言うまでもなく DRM との決別。『デジタル音楽の行方』において DRM は「デジタル貞操帯」と揶揄され、繰り返し先がないと断じられている。しかし、その根拠は至極当たり前のものだ。

 消費者は、自分達が買うものにあれこれ指図しようとする試みに一貫して抵抗してきた――不思議なことではない。あなたが車を買った後に、自動車メーカーが運転できるところとできないところに口を出したら、どんな気持ちになる? あるいは、本を買った当人だけが本を読めて、友達や家族に渡すことができないと出版社が命令したら、人々はその出版社に何と言うか想像できるだろうか? 購入後の遠隔支配こそがDRMの肝である――そしてそれこそが、DRMが端的にうまくいかない理由でもあるのだ。(231ページ)

もう一つは既存のサービスを残したままで、新しい DRM フリーの高品質サービスが提供されること。手軽にアクセスできる安価な水道水がある一方で、より質を重視する人にはそれより値がはるミネラルウォーターも提供されるという「水のような音楽」モデルじゃないですか。

しかし、である。『デジタル音楽の行方』は、現在この市場の支配的プレイヤーであるアップルのビジネスモデルの先を描いた本である。つまり今回の発表は、結果的にアップルの一人勝ちを崩すことになる可能性があるというのが面白くも恐ろしいところだ。

BitTorrent創業者インタビューに見るP2Pビジネス最前線

記事内容の面白さに比べてあまり注目されていないような気がするのだが、BitTorrent(法人のほうね)のブラム・コーエン CEO とアシュウィン・ナビン社長という二人の創業者に日本のメディアが話を聞いたというのは他に知らない。

天才ハッカーにしてアスペルガー症候群の Bram Cohen が CEO でどうやって会社を切り盛りしているか以前から疑問だったのだが、やはりもう一人の創業者がやり手ビジネスマンタイプだったのね。

日本だったら法人化して大手映画会社と契約どころか逮捕されているんじゃないかと思いそうになるが、この記事を読むと彼らが自覚的に批判をかわすべく対処し、ビジネスを成立させているのが分かる。

少し前に TechCrunch に過去の人呼ばわりされた上に失脚と報じられた(そしてそれは誤報だった)Bram Cohen だが、今年に入ってのインタビューなどを読んでも、まだ会社を離れることはなさそうだ。

インプレスのWeb 2.0本がクリエイティブ・コモンズ・ライセンスで公開

伊藤穰一のブログでも紹介されているが、インプレスよりまた Web2.0 本が出る。

個人的にはこの手の Web 2.0 本はもう食傷なのだが、この本が偉いのは、WEB2.0の未来 ザ・シェアリングエコノミーというタイトル通り、サイトにおいて原稿をクリエイティブ・コモンズ・ライセンスで公開されるということ。

しかもそのライセンスは BY-NC という書籍としても刊行されている原稿にしては自由度が高いもので、それもポイントが高い。

テリー・ジョーンズの汎英国的ブラックユーモアに乾杯

テリー・ジョーンズは直情家のウェールズ人にして頑固一徹の左派であり、上の記事でも紹介されている激烈なブッシュ、ブレア批判本『Terry Jones's War On The War On Terror』(asin:1560256532)を著しているから不思議ではないが、さすがモンティ・パイソンというべき汎英国的ブラックジョークが炸裂しまくっている。

パイソニアンであるワタシ的には、彼が半年前は腸癌で闘病中で、奇跡的な回復を遂げてからそう間もないことを思うと、彼が元気なのがとにかく嬉しい。

彼の文章を読んで思い出したジョークがある。

昔、アフリカに赴いたある宣教師がたどり着いたのは、人肉食の伝統を持つ部族の集落だった。しかし、部族の人たちは思いのほか友好的で、宣教師を集落に迎い入れた。

ある日宣教師は、自分たちの世界の話をしようと、当時ヨーロッパ中を巻き込んでいた第一次世界大戦のことを人食い族に聞かせた。兵器の破壊力の向上による甚大な戦死者の話を聞くと、人食い族の男は宣教師に尋ねた。

「そんなに人を殺して、どうやって食うんだ?」

宣教師は文明人としての誇りを持って答えた。

「我々は人肉を食べないんだよ」

それを聞くと、人食い族の男は呆れたように言った。

「食いもしないのに、むやみやたらに人を殺すなんて、西欧人は何と野蛮な連中なんだ」

今宵、フィッツジェラルド劇場で

今宵、フィッツジェラルド劇場で [DVD]

今宵、フィッツジェラルド劇場で [DVD]

昨年11月に死去したロバート・アルトマンの遺作である。

彼が得意とする大人数の(豪華)キャストによるアンサンブルスタイルにして音楽劇というファンとしては堪えられない作品なのだが、そうでない人たちにはどうだろう。「単に年寄りたちがだらだら喋って歌うだけの映画じゃん」で済まされるのかもしれない。

本作を覆う死というテーマについてこくのある描き方をしていないのを批判する人がいるかもしれないが、無理にドラマを見せることにこだわらず、同じ音楽劇でも『カンザス・シティ』の失敗の轍を踏むことを逃れていると思う。アカデミー賞名誉賞のプレゼンターとしてメリル・ストリープとリリー・トムリンもやっていた複数の人物を同時に喋らせる手法に代表される、自由で即興的な演出は紛れもなくアルトマンのもので、本作ではある種の痴呆的な感覚も加わり、一種の舞台劇ではあるけれども、テレビドラマなどには還元し得ない映画的時間を堪能できた。

近作では、ゴールデン・グローブ賞他の監督賞をとり評判の良かった『ゴスフォード・パーク』が、ヘレン・ミレンが偉大な女優であることを知ることができた収穫はあったものの、字幕スーパーを読んでいると頭が破裂しそうになるため今ひとつのれなかったワタシにとって本当に嬉しい映画だった。

何より本作の生みの親であるギャリソン・キーラーをはじめとしてみんな素晴らしい歌声を披露しているし、リンジー・ローハンの使い方も悪くない。

アルトマンはまだ映画を撮るつもりだったようだが、本作のとてもきれいで晴れやかなエンディングは、観客の心の中でアルトマンへのお別れの気持ちと重なり、ちょっと出来すぎのようにも思えるが、そうした映画人がいてもいいではないか、誰であろうロバート・アルトマンなのだから。

「老人の死は悲劇ではない」そうあってほしい。

[YAMDAS Projectトップページ]


クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
YAMDAS現更新履歴のテキストは、クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 継承 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。

Copyright (c) 2003-2023 yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)