前回から半年以上のブランクを経ての「世界文学全集」第四回目は、先日84歳にして死去したカート・ヴォネガットの代表作『スローターハウス5』である。
スローターハウス5 (ハヤカワ文庫SF ウ 4-3) (ハヤカワ文庫 SF 302)
- 作者: カート・ヴォネガット・ジュニア,和田誠,伊藤典夫
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1978/12/31
- メディア: 文庫
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こないだも書いたが、この小説はワタシにとって特別な作品である。が、これを初めて読んだときの第一印象は、正直「なんじゃこりゃ」だった。特に連祷のように繰り返される「そういうものだ。(So it goes.)」には面食らった。
しかし、それはただやみくもに繰り出されるのではなく「死」と符合していること、そしてそれが本作を覆う戦争の後遺症としての失語感覚の表現であり、さらに書けば過去、現在、未来を飛びまわされる時間旅行が、戦争体験のフラッシュバック、PTSD の表現であるのに気付くのに時間はかからなかった。
そして、この本はワタシの愛読書となった。実家に帰るたび、枕元にある文庫本を手に取る。いつどのページから読み始めても、すぐに作品に没入できる。
そのようなワタシにとってかけがえのないこの作品に関し、一つ素朴な疑問がある。
この小説に何回「そういうものだ。」が出てくるか、ということだ。
アホかと言われそうだが、読んだ人は誰でも一度は考えるんじゃない? ……と思ったが、例えばカート・ヴォネガット非公式ページのカート・ヴォネガットFAQにもそういう項目はない。
折角なのでこの機会にちょっとネットを調べてみた。まずは Wikipedia の Slaughterhouse-Five ページ。
There are about 106 "so it goes" anecdotes laced throughout the story.
おいおい、"about 106" って逃げないでくれよ。
ティム・ヒルデブランド『ヴォネガット白書』に収録された「カート・ヴォネガットのイマジネーションについて,私が知っている二、三の事柄」(池田博明氏訳)には以下のようにある。
『スローターハウス5』には丁度百回「そういうものだ」がある。
続いて小林充信氏の『スローターハウス5』研究の「第2章 反復」から引用。
この小説でもっとも目立つ反復は“So it goes.”である。数えてみたところなんと103回もくりかえされていた。
……三つとも数字バラバラじゃん!(笑)
そこでワタシもこの週末を使って『スローターハウス5』を再読し、「そういうものだ。」の回数を数えてみた。使ったのは、実家から持ち帰った文庫本で、2001年7月15日の19刷である。
で、その結果だが……本文中95回までしか数え切れませんでした。他のページに文句つける資格ないっす。すいません……
でも、久しぶりに本書を頭から最後まで読む機会ができて、個人的には無駄ではなかった。本書は紛れもなく反戦の書である。一方で戦争はなくならないという認識、ドレスデン爆撃という圧倒的な体験によるニヒリズムも抱えながら、本書はたまらなく哀しいまでに可笑しい小説である。本書はまだ古びてはいないよ。
そういえば仲俣暁生さんは本作の映画版について書かれていたが、ワタシは未だ観ていない。今度、レンタル屋を探してみようと思う。
また一方で frenetic diary によるとヴォネガットの本は少なからず絶版になりつつあるようだ。まだ読んでない本がいくらでもあるのに、これは困った傾向である。
いずれにしても、ヴォネガットさんにさよならを言うのはまだ早いのかもしれない。