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オナニーをして精液に血が混じっていたことはありますか?

やぁ、みんな、オナニーしてるかい?(イエーイ)

ところで男性読者に聞きたいのだが、オナニーをして精液に血が混じっていたことあるかな?

ワタシは、ある。

この話は昔も書いたことはあるが、あのときの一気に血の気が引き、そのままショック死しそうな恐怖感は二度と思い出したくない感覚である。

しかし、ワタシは何とか取り乱さずに済んだ。まったく偶然にも自分と同じ症状の話をその直前に読んでいたからだ。不幸中の幸いとはこのことである。

そういうわけで、15年間読者だったロキノンの思い出の文章を紹介する「ロック問はず語り」、今回は rockin' on 1996年4月号に掲載された遠藤利明氏の「西暦二〇〇〇年のセックス・セラピスト 下着をせつせつと歌い上げたジャーヴィスと血混じり精液に動転した私」から引用させてもらう。

 昨年夏、私は初潮を迎えた。痔でも血尿でもない。精液に血が混じったのだ。オナニーで射精した刹那、赤いものが混ざっているのが見えた。だが射精はいちどきに全部出るわけではない。アワワアワと驚きながら、ピュッピュッと小出しに続くのを呆然と眺めるしかなかった。出たものを観察すると、白との対比があまりに鮮やかな赤が、浮いていた。バニラアイスにイチゴジャムがのってる感じ。どう見ても、血液。私も長年射精してきたが、こんなことは初めてである。悪い病気か?

ワタシの症状とあまりにも近いので長々と引用させてもらったが、このときの恐怖感、気持ちの落ち込み方はとんでもなかった。

原因として思い当たるところがないのが怖い。これがあったとき、ゆうに半年はセックスしてなかったので性病の心配をしなかったのは我ながら情けない話だが、それはともかく性器を不潔な環境に晒した覚えはない。第一、尿の色は正常だし、体に特に変調を感じないのだ。

これが今なら Google 検索で一発なのだろうが、この頃インターネットはそこまで便利なものでなく、それに当時生活環境が大きく変わったばかりで、周りに相談できる人間がいなかった。

結論を書くと、この症状の病名は血精液症で(そのまんま)、激しい運動や続けざまの咳などで体が強い衝撃を受けると、体内のどこかが切れて出血することがあり、これが精液の通り道で起きたということである。

それならワタシも思い当たるところがあった。当時行動をともにしていた連中が体育会系揃いで、それまで自堕落な生活が送っていたワタシも毎日のように真剣にスポーツに励んでいたのだ。

さらに書けばこの血精液症はそんなに稀なものでもないようで、Google 検索窓に「性液」を入れると、Google はすかさず「血」をサジェストしてくれるくらいである。

さて、ここまで長々と「オナニーしたら精液に血が混じっていて死ぬほどびびった」話を書かせてもらったが、引用した「西暦二〇〇〇年のセックス・セラピスト」は血精液症を語る文章ではなく、ブリットポップを代表するバンド Pulp を論じたものである。

端的にいって、彼らのたたずまいや演奏から伝わってくるのは「この人たちも、きっとパッとしないSEXをする」ってこと。どうせならパッとしたいのが人情だが、いくら頑張ってもハズしてしまうことはままある。で「気持ちがあれば」とか「一生懸命だったから」とか自己弁護しつつ、自らのふがいなさと折り合っていく。パルプは、誰にでもあるけど口にするのが恥ずかしい、こんな感情の揺れぐあいを巧みにすくい取る。

そして、アルバム『Different Class』(asin:B000001E8P)からシングルカットされた彼らの代表曲 "Disco 2000" の、惹かれ合う男女が気合を入れてドレスアップしてデートしてベッドインするもののなんかパッとしない SEX に終わっちゃうビデオクリップ(YouTube)に触れ、遠藤利明氏の文章は以下のように終わる。

 このクリップは、パルプの性格を非常によく映し出している。つまり彼らは、パッとしないSEXの心優しき立会人なのだ。彼らはパッとしない2人を笑いはしないし、パッとしないことに開き直らず、キメキメのファッションでパッとしたい気持ちへの当たり前の共感も示す。要するにコモン・ピープル。
 彼らもメディア情報の一つでしかないが、こういう人々もメディアでしっかり流通しているのを確認すると、妙に安心する。SEXの盛り上げ人とか扇動者とか否定者とかは数多くいる音楽界だが、良質な立会人は少ない。これからも頑張って欲しい貴重な個性だ。

「貴重な個性」というのはよく言ったもので、この当時のパルプのフロントマンであるジャーヴィス・コッカーの汎英国的ポップスターとしての人気は大変なものだったが、パルプの人気はこのときが最盛期で、映画『LIVE FOREVER』に描かれるように「ブリット・ポップ」という言葉が陳腐化するや、パルプの人気もしぼんでしまう。彼らの人気は、時の運やジャーヴィスのキャラクターなどの微妙なバランスの上で成り立っていたようだ。

しかし、それでも書いておくが、ユーモラスで皮肉の利きながらも瑞々しく、何よりヘナチョコな彼らの音がワタシは今でも好きだ。来月、ブリットポップを回顧する三枚組コンピレーションが出るが、そのタイトルが Common People なのは至極当然の話である(ブラーやオアシスの曲が入ってないからだろ、とは言わないように)。

Common People: Brit Pop: the Story

Common People: Brit Pop: the Story

折角なので Universal や Island Record の YouTube チャンネルから彼らの代表曲のビデオをリンクしておく。

偶然にもジャーヴィス・コッカーのソロ2枚目がリリースされたばかりだが、パルプの再結成はするつもりがないようだ。

Further Complications

Further Complications

さて、分かってる人はとっくに分かってることだが、今回引用した文章の著者である音楽ライター遠藤利明氏は、文芸評論家円堂都司昭氏(id:ending)と同一人物である。

何度も書いているが、ワタシは遠藤利明さんの文章を20年近く前(!)から読んでいて、氏が rockin' on 1994年6月号に書いた「社交術としての社会派、命がけの詐術 ピーター・ガブリエルは何故現在形でいられるのか」という原稿を読み、ワタシは売文屋になることを諦めたくらいである。

昨年、週刊ビジスタニュースでおなじみ上林さんの計らいで円堂さんにお会いすることができたのだが、およそ20年分の畏敬と感謝と嫉妬でワタシの頭はぐるぐるになり、感極まりながら「オナニーして精液に血が混じっていたとき、ショック死しなかったのは遠藤さんの文章のおかげです」と感謝の念を伝えるのが精一杯だった。

その円堂さんであるが、『「謎」の解像度』が第62回日本推理作家協会賞に続き、第9回本格ミステリ大賞も受賞された。

円堂さん、ダブル受賞おめでとうございます。

「謎」の解像度

「謎」の解像度

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