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横道世之介

機内放送で初めて邦画を観た。

本作は主人公が(原作者の吉田修一と同じく)1987年に上京してくるところから始まる。吉田修一もワタシも長崎市の生まれで、ワタシも大学入学とともに故郷を離れたため当時のことを思い出したりしたが、吉田修一はワタシより5つ年長で、その間にバブル景気の隆盛と凋落が挟まるため、見ていた景色には当然違いがある。1987年の新宿をワタシは知らないので、本作の映像的な時代考証が正しいかはワタシには分からない。

本作の一部はその長崎も舞台になる。先日帰省したときに聞いたところ、劇中の長崎弁を難じる声もあったが、ワタシ自身は悪いとは思わなかった。

本作の160分という上映時間はやはり難点だろう。いくらなんでも長い。役者の演技をテンポよく切れない邦画の悪いところではないか。

正直、ワタシは本作の主人公たる横道世之介の佇まいがあまり好きでない。それに彼が「いや……その……」ともぞもぞしているところをカットすれば10分ぐらい尺が短くなるのではないか。

それは冗談として、それならダメな映画なのかというとそうではない。

本作には劇的な展開はまったくない。そうしたものを完全に廃しながら、ただお人よしな横道世之介がいるだけで、周りに後から思い出して笑いがついてくるような温かい感触を残していく、そうした映画なのである。

本作はそうした意味で目標がはっきり定まってるタイプの映画で、その目標に達し十分成功しているかというと難しいのだが、上で難詰した上映時間の間退屈することはなかった。祥子に届いた写真の意味が分かるラストもよかった。

役者では祥子役の吉高由里子さんがメチャクチャよくて、こういう一種の極端さを持つ役がピッタリだった。

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