New Yorker の記事を紹介するエントリだが、これで Kyle Chayka の新刊 Filterworld を知った。
ねじまきさんの以下の要約を読み、まさにこれ、ワタシが先週書いた「WEIRDでいこう! もしくは、我々は生成的で開かれたウェブを取り戻せるか」につながる話じゃないかと思った次第。
・インターネットは、現在、アルゴリズムによる推奨とフィードの麻痺したロジックに従ってユーザーにコンテンツを提供する少数のプラットフォームを中心に統合されている。受動的な消費が促進される。あらゆるやり取りが監視され、ターゲットを絞った広告によって商品化される時代。
・私たちは、それぞれがオンラインで独自の道を切り開くのではなく、いくつかの巨大企業が刻んだ溝に巻き込まれている。
・以前は、オンラインでの活動は、未知の領域を探検するソロハイカーになっているような気分だったけれど、今では高速道路に自分の看板を出しているような気分になる。
・私が知っていた断片的な DIY Web と比較すると、ソーシャル メディアは奇妙に予測可能であるように感じられる。LinkedIn や Flickr などの新しいサイトのユーザー プロフィールはテンプレート化され、広告で囲まれている。
インターネット初期のウェブを描いたエッセイ 『Filterworld』 | 世界のねじを巻くラジオ
著者は、自身のサイトで新刊について以下のように書いている。
この本は、Instagram、TikTok、Spotify といったデジタルプラットフォームが、この10年でいかに我々の文化流通の様式を支配したかについての本である。TikTok のおすすめや Netflix のホームページのようなアルゴリズムのレコメンデーションが、我々がオンラインで見聞きするものの大半を支配している。パーソナライゼーションされているというが、多くのアルゴリズムがもたらした結果は、文化の均質化である。
この Guardian の記事も新刊からの抜粋だが、「なんでどこのコーヒーショップも見た目が同じ感じなのか」、つまり世のコーヒー屋の多くはスターバックスに代表される「美学」を基本とする店舗の作りになってるのかという話だが、実はこれもインターネットユーザという大きな顧客層を取り込むために、デジタルプラットフォームで主流になっている美学に沿った結果の均質化であり、その同質化はコーヒーショップだけに留まらず、我々の現実世界にも影響を及ぼしているよ、と論じている。
上記の論旨を見て、誰もがトーマス・フリードマン『フラット化する世界』(asin:B073S3BRZM)を連想するだろうが、ソーシャルメディアが文化面での「フラット化」を推し進めたというわけですね。
「アルゴリズムからの脱出」は、今年の潮流になりうるだろうか。ワタシも WirelessWire 原稿でそれに期待したわけだが、今のネットユーザには独立独歩よりもアルゴリズムに飼いならされることを選びそうな人が多いのではないかとも正直思っている。
いずれにしても、この本は邦訳を読みたいところである。