昨年後半に Vox の編集主幹から New York Times のコラムニストに転身した気鋭のジャーナリストであるエズラ・クラインのポッドキャストに、当代最高の SF 作家のひとりであるテッド・チャンが出演している。
そういえばテッド・チャンというと、少し前には New Yorker に、シンギュラリティなんてこないよと論じる文章(日本語訳)を寄稿しており、これが普通の作家なら、新刊のプロモーションなのかなと思うところだが、寡作で知られるテッド・チャンにそれはない、よね?
エズラ・クラインのポッドキャストに話を戻すと、アーサー・C・クラークの有名な「十分に発達した技術は魔法と区別がつかない」という言葉をテッド・チャンがお気に召さない理由に始まり、錬金術、宗教、スーパーヒーロー、自分が死ぬ日が分かるなら知りたいか?(テッド・チャンは知りたいそうだ)、自由意志、など話題は多岐に渡るが、やはり面白いのは AI と資本主義の関係についての話である。
テッド・チャンは3年以上前にもこのあたりを論じているが、AI に対する恐れの大半は、資本主義に対する恐れであり、それはテクノロジー全般にもあてはまり、今やテクノロジーと資本主義は非常に密接に絡み合っており、この二つを区別することは難しいと語る。
そして、デンマークなど、国民皆保険があり、育児がしやすく、大学の学費は無料の国と、アメリカのような資本主義の国では、テクノロジーへの恐れの度合いは変わるのではないかと語る。アメリカのような資本主義国では、テクノロジーはコスト削減と企業利益の旗印のもとに人々を失業させ、生活を困難にするものだから。
しかし、コスト削減を求めるのは(テクノロジーではなく)資本主義である。あらゆるテクノロジーが善というわけではないが、社会的セーフティネットが整った世界であれば、コスト削減と企業利益のためだけでなくテクノロジーの長所と短所を評価できるようになるのではないか。
技術革新とともに失業が避けられないという話を議論する際に、この点が検証されないままになっているように感じるとテッド・チャンは述べている。問題は資本主義であり、しかし、我々はその資本主義に疑問を抱くこと、そこから逃れることはできないというのが前提になってしまっている、というわけだ。
テクノロジーの長所と短所の評価を資本主義の枠組みから切り離して考えることができるようになってほしい、とテッド・チャンは願っており、資本主義を内面化してそれに最適化してしまうことに警鐘を鳴らしている、とワタシは解釈した。
ネタ元は kottke.org。
そうそう、エズラ・クラインは昨年 Why We're Polarized を刊行して賛否両論を巻き起こしたが、これは邦訳出ないのかねぇ。日本でこの本を少しでも論じた記事は「米国の分断を加速させるサンダースの功罪」くらいしか読んだことがないが。

- 作者:Klein, Ezra
- 発売日: 2020/01/28
- メディア: ハードカバー