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追悼ジェフ・ベック――1989年インタビューに見る中年の危機からの脱出

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ジェフ・ベックの訃報には驚いた。昨年もジョニー・デップとの共演アルバムを出し、元気にツアーをやってたし、何より若い頃からほとんど変わらない佇まい、要はハゲもせず、太りもせず、精悍さをずっと維持していた人だから。三大ギタリスト(日本のみで流通している呼称)では絶対彼が一番長く現役でいると思い込んでいた。

それにしても自分にとって大事な人の訃報が続く。ジェフ・ベックの後には高橋幸宏の訃報に接し、個人的にはやはり幸宏さんのほうがショックが大きかったのだけど、ここはジェフ・ベック追悼をやりたいと思う。

1989年からおよそ15年読者だった雑誌 rockin' on の過去記事をとりあげる「ロック問はず語り」、今回は1989年11月号に掲載されたジェフ・ベックのインタビュー(元は Musician 誌掲載)を紹介する。なお、この号の表紙もジェフ・ベックで、彼が rockin' on の表紙を単独で飾ったのはこれが最後だと思う。

インタビューの紹介の前に少し文脈というか時代背景を説明しておきたい。

ジェフ・ベックに限らず、1960年代から活躍していた人たちは、1980年代ではっきりキャリアが下降線をたどる。ザ・フーレッド・ツェッペリンのようにメンバーの死があり解散したバンドもあるし、ストーンズも解散の危機を迎えたり、ジョージ・ハリスンのように音楽業界から一度離れてしまった人、ニール・ヤングのように「意図的に売れないアルバムを出している」とレコード会社に訴えられた人、80年代のコマーシャリズムについていけず、作品の評価もセールスも低調になった人が多かった。

ポール・サイモンの『Graceland』あたりが嚆矢だと思うが、1980年代後半になると、ルー・リードの『New York』など、吹っ切れてその人らしさを取り戻したアルバムを出すのだけど、1985年にナイル・ロジャースをプロデューサーに迎え、彼なりに売れ線を狙ったが外してしまった『Flash』を出したジェフ・ベックにとって、1989年に発表した『Jeff Beck's Guitar Shop』もそうした「復活」の一つに位置づけられるだろう。

新作が前作とガラッと雰囲気が変わり、また1970年代のフュージョン系とも違う印象があるが、その方向転換の理由を聞かれたジェフの言葉はとても率直である。

はっきり言ってもうあれしか手がなかったんだよ。というのは俺が弾けるような作品や、興味をそそられるものを他の誰も書いてないわけだからね。俺、結構、この何年かは現場のシーンの音を漁っててさ、クラブにも足を運んだりしてたんだよね。それでロサンジェルスで探りを入れてみて、それから遥々ニュー・ヨークくんだりまで行ってもう本当にガッカリしちゃったよ。結局、この俺が自宅で書いてるものの方がまだいいんだからさ。

明らかにコマーシャリズムを意識した前作『Flash』についてもやはり率直に語っている。この人は正直だ。

あのアルバムの時は、俺、あのまま成功へまっしぐらに進んでいくものと信じて疑わなかったよ。ナイル・ロジャースと超バカ売れLPを作って、その後には今回のようなものをやると、もう心に決めてたんだ。でも、実はナイルが俺に用意してくれた作品は全然、俺に向いてなかったわけ。材料が全て間違ってたんだね。

ただ続けて、ヤン・ハマーが書いた曲とロッド・スチュワートとの久しぶりの共演となった "People Get Ready" は例外としている。

このインタビューではロッド・スチュワートを讃えていて、「レコード1、2枚程度なら俺とまた組んでみたいといつだって感じてるはずさ」と語っているが、それは実現しなかった。

ただ、後にこうした共演は実現している。

その後でジェフが語る、80年代の音楽シーンに対する失望の話は、当時彼が感じていた孤立感をよく伝えている。

ただね、あの当時俺は音楽業界で起ってしまったことに絶望してしまったんだ。猛烈な勢いで進行するこの、終ることを知らない、凄絶な、企業集団による蹂躙を目の当りにしてもう希望も何も失ってしまっていたんだ。しかも俺のような人間には全く居場所がなかったわけだし。単に時間の無駄なんじゃねえかって思ったもんだよ。俺と繋りを持ってるような奴なんてもう誰も業界では力を失っていたし、大体、俺のレコード会社なんてニュー・ヨークを本拠地にしているのに俺はイギリスの奥地の彼方に住んでるわけだから自分がこの業界の一員だなんて実感さえ失くなっちゃってさ。

悶々としながら、彼は80年代の大半の時間を車いじりに費やしていたようだ。

俺なりにそういうことを考えながら座り込んでしまう様な時期があったんだよ。切磋琢磨を重ねながら、一日八時間も練習するだけの価値が果してあるんだろうか。実は俺もそろそろギターをケースにしまい込む時期なんじゃないかってね。

そんな時期を経て、トニー・ハイマスとテリー・ボジオとアルバム制作に入るのだが、以下のくだりは当時読んでて「オヤジくせえな」と思ったのを覚えている。

それなのに八ヶ月もかかっちゃったのは、そう、途中でチェスなんかやり始めたからだろうなあ。トニーの馬鹿がチェス盤を買ってきやがってさ。昼くらいに起きるだろう? それから二時くらいまでは脂がのらないからチェスをやるんだ。その内、何だかじじいの寄り合いみたいになっちまって。

今ではこの感覚はよくわかる。というか、今では自分は、当時の彼よりも年上になってるんだよね。

オヤジの与太話ついでに、『Jeff Beck's Guitar Shop』のレコーディングを行ったのが、ジミー・ペイジが所有するスタジオであることを聞かれてのジェフの答えがおかしいので引用しておく。

「そりゃ、やっぱり、気分良くなかった。俺が黙々と仕事をするだけであいつは懐を暖かくしていくんだぜ。それに作品を完成させて引き上げる時、俺のバイクだけ置いてきちゃったから、あいつはスタジオ代の儲けの上にバイクも一台分儲かったんだ」

●(笑)そんなの取り戻しに行きゃあ、それで済むことじゃないですか。

「いやあ、あいつのことだからもう売っ払っちまってるよォ」

そういえば『Jeff Beck's Guitar Shop』には、クイーンのブライアン・メイが「これまでレコーディングされたギター・ミュージックで最も美しいもの」と評した “Where Were You”が入っているが、この曲についてはジェフ自身は以下のように語っている。

そう、俺がアームを使って演奏をするのはかなり画期的なことだよね。ただ、弾く時の加減が凄く難しいんだ。まあ細かいことは俺の手首に訊いてくれよ(笑)

このインタビューで重要なのは、インタビュアーがジェフの自分への厳しさ、過去の作品をことさらに過小評価するところを指摘しているところ。それに対して、ジェフも率直に認めている。

いやあ、ひどいもんだよ。その辺、とてつもないんだよな、俺って。実際、その癖を直せば俺にはもっと方向性や一貫性が見えてくると思うんだけど。何か、創り上げたものをすぐにブッ壊しちゃうんだよ。

かつて「アルバムを2枚作ったらバンドをぶっ壊す病」とその悪癖をファンは嘆いたものだが、エリック・クラプトンの後釜としてバンドをブルース一辺倒から変えたヤードバーズ時代、ハードロックの先駆けとなった第一期ジェフ・ベック・グループ、よりソウルやファンクに接近した第二期ジェフ・ベック・グループ、クリーム後の最強のロックトリオだったベック・ボガート&アピス、ギターインストの頂点と言える『Blow By Blow』と『Wired』、いずれもジェフの仕事は革新的だったが、だいたいアルバム2枚出したあたりで自分の成した仕事に飽きてしまい、人間関係を含め壊してしまう。

そうして渋谷陽一も指摘するように「残した仕事は多い。ただ、その仕事に連続した物語性はなく、印象的な短編がたくさんある感じ」になったわけだが、でも、そのキャリアを通してギターの斬新さは一貫している。

Jeff Beck's Guitar Shop』で復活を遂げ、グラミー賞を受賞し、1990年代も快進撃が続いた……らよかったのだけど、現実はそうはいかず、ジェフが次に充実したアルバムを作るのは、1999年の『Who Else!』まで10年待たねばならない。その年行った来日公演はとても素晴らしかったな。

21世紀に入ってもその充実は続いたし、うすら寒い「ルーツ回帰」や「原点回帰」などせずに、エレクトロだったりハードロックだったりする音は若々しかった。

その印象が続いていたので、彼の訃報が信じられなかったわけだが、「ロック・ギタリストには2種類しかいない。ジェフ・ベックとそれ以外だ」と改めて言っておきましょう。

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