Components の作者であるライターでデータアナリストのアンドリュー・トンプソンの文章だが、メタバース、すっかり廃れたよねという話から始まる。
それは単なる誇大広告の失敗という話に留まるものではなく、シリコンバレーが「楽しみ」、つまりは有意義に時間を浪費するというものを理解できていないからだと彼は分析する。
理論上では、シリコンバレーとゲームは完璧にぴったりな組み合わせに見える。だって、ゲームはコードでできているし、特定のハードウェア上で動作する。しかし、共通点はそこまで。ライフスタイルの「生産性」や「最適化」を重視するシリコンバレーのエコシステムは、ゲームに合ってないというのだ。
もちろんシリコンバレーからも Zynga などモバイルゲーム会社は生まれたが、『エルデンリング』や『ピクミン』みたいな魅力的なゲームは作れていない。問題は、シリコンバレーにおける時間の価値観から始まっており、ゲーマー(プレイヤー、スタジオ、開発者)のエコシステムと VC が支援するシリコンバレーのエコシステムの間にある溝は、前述の時間を節約し、効率的な時間管理を目的とする生産性重視のアプリに顕著に見られるという。ゲームは雑に言ってしまえば時間の浪費なわけで、両者が噛み合わないのは不思議ではない。
ここから著者はジョルジュ・バタイユを引き合いに出して話を進めるのだが、ワタシはバタイユ読んだことないので割愛させてもらう。基本的には上に書いた両者の溝の話をこえるものではない。Reddit の共同創業者のアレクシス・オハニアンが唱道する「Play to Earn」モデルがゲーマーから嫌われる要因の一つにこの溝があると著者は考えているようだ。
ワタシ自身はメタバースが死んだとは思っていないし、シリコンバレー人種にもゲーマーいくらでもいるだろとも思うので、この文章には異論も多かろう。しかし、現状がマーク・ザッカーバーグの期待通りなわけはなく、シリコンバレー的マインドセットに心得違いがあると考えたくもなるのも分からないではない。思えば、ゲームエンジン Unreal Engine を開発し、『フォートナイト』を生み出した Epic Games はシリコンバレー企業ではないんだよな。
ワタシがここで思い出すのは、「メディアとしてのメタバースのメッセージを(ニコラス・カーが底意地悪く)読み解く」で紹介した、(Meta の取締役会メンバーである)マーク・アンドリーセンのメタバースについてのビジョンが(ザッカーバーグのよりも遥かに)暗く、過激で、終末論的ですらあるという話。ザッカーバーグが一般向けに提示するメタバースがオープンワールドのビデオゲームだとすれば、アンドリーセンのメタバースはまるで遊園地と強制収容所を掛け合わせたかのようだ、とニコラス・カーは実に意地悪く書くのだが、「テクノ楽観主義者宣言」の禍々しさを鑑みれば、シリコンバレー人種は「楽しみ」というものが分かってないという声もあがるのも不思議ではないのかもしれない。
ネタ元は Hacker News。