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ブロガーの行動規範、はやはり無理なのだろうか

予めエチケットペーパーを敷いておくと、これから当方が書くのは一般論、というか特定の対象に絞らないぼんやりした話である。以下にリンクする文章で主に話題になっている(と思われる)人のブログは読んだことがなく、特にコメントする立場にない。

あと今日の画像も Wikimedia Commons より。

本当に忌むべき暴力とは、実は個々の罵倒でも罵倒者でもない。論理立てた批判も議論もせず罵倒を繰り返す者を許容することで、罵倒された人々を二重に罵倒することになる「場」である。そういう「場」を、人間関係のしがらみによって曖昧に維持しようとする人々である。そこにあるどうしようもない想像力のなさ、鈍感さの中に、真の暴力性は孕まれている。

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大野左紀子さんの「ネット上の暴力」、並びに加野瀬未友さんの「罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する場こそが問題」を読み、当方が思い出したのはキャシー・シエラ殺害脅迫事件である。この事件について当方は以下のように書いている。

もちろん度重なる殺人脅迫が一番の契機なのだろうが、それや度を越した嫌がらせだけでなく、著名なブロガーにそうしたサイトに加担しながら中傷を先導(したように彼女に感じられ)、黙認した人たちがいたこと、またそうしたブロゴスフィアへの失望も同じくらい大きかったのではないかと当方は推察する。

ティム・オライリーも一押しの『暗算の達人』と殺人予告を受けて活動を停止した著名ブロガー - YAMDAS現更新履歴

キャシー・シエラの事件で問題になったのは、匿名性が高く管理が緩い、どちらかといえば日本の匿名掲示板に雰囲気が近いブログのコメント欄での言葉の暴力のエスカレートだった(アメリカのブログはほぼ実名主義、とかしたり顔で言う人は本件についてどうコメントしてるんですかね?)。

そのブログの設置者であるクリストファー・ロックとキャシー・シエラの会見をセッティングし、事件を収束に向わせたティム・オライリーは、この一件を受けブロガーの行動規範を提唱した

ティム・オライリーはインタビューで以下のように語っている。

(行動規範の)全体は、Chris Locke氏がはじめに「私が言ったのではないから、私の責任ではない」と発言したことに対する反応だった。私の考えはこうだ。「ちょっと待って、責任はあるだろう。次第に険悪になっていくサイトの管理者でありながら、成り行きに任せたのだから」。実際の出発点は、こうした考え方――ブログの作者はコメントへの責任を否認できるし、そうすべきだ――への反論だった。

http://wiredvision.jp/news/200705/2007051821.html

確かにブログの管理者は、そのコメント欄にそれなりの責任を負うべきだろう。基本的には、不適切と判断すればコメントを削除すればよいだけだ。しかし、オライリーが提唱した行動規範のアイデアには批判も多かった

先のインタビューでオライリーも「私はその後、行動規範の提唱は少し的外れだったと思うようになった」と認めている。

問題は、私が実際に苦労してきたように、ちょうど今、礼儀正しさの強制という点で、選択肢が二項対立的になってしまっていることだ。(自分のブログで)コメントを削除できるか、放置するかのどちらかになっている。

http://wiredvision.jp/news/200705/2007051821.html

オライリーが提唱した行動規範の現状は Blogger's Code of Conduct を参照いただきたい。コメント欄というブログ管理者の権限内と認知されているところならともかく、オライリーは「礼儀正しさの強制」という言葉を使っているが、行動規範を個々のブログ本体、そしてブログ間の関係に適用しようとすると問題は難しくなる。

このあたりについては Welcome To Madchester の「学級会化するポストモダン」が当方の感覚に近い。

しかし、事はそんな上手くいかない。なぜならみんな他人の事なんて大して関心がないから。いじめ問題などで典型的なように、リアルで、自分の目の前で目を覆うような事態が起こっていても、私達は無関心になることができます。ましてや、それよりも遥かに距離の離れたネット上では友達だろうがなんだろうがディスプレイの向うで行われている他人のそれは「わたしたち」にとって本当に「どうでもいい事」になります。

ここだけ引用すると冷たい印象を受けるが、考えてみればワタシ自身ここに書かれるのとまったく同じことを考えつついろんな問題をスルーしながら毎日を暮らしている。

一方で加野瀬さんは「罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する場こそが問題」で、

でも、大野さんの記事を目にして、目をつむる態度はよくないと思ったので、今後問題だと思ったMarco11さんの行為を見かけたら触れていく。

と明言している。この後の「罵倒表現の問題ではなく、罵倒、時には脅迫的言動を駆使する相手と対話できるか?というのが問題」にいたるまで、加野瀬さんの主張はよく分かるし、趣旨にも基本的に賛同する。

しかし、ブログ対ブログまで拡張された場における言葉の暴力に対して、自分が第三者の場合、どういう事例でどこまで介在していくべきなのか考えても自分の中で答えは出ないし、「ブロガーの行動規範」が広く共有されることはないのだろうなと思ったりした。

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