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エコ消費がもたらす免罪機能は人間を邪悪にする?

医学都市伝説のエントリにおっとなった。

”消費者の志向は価格と品質のみによって定められるものではなく、社会的、道徳的な価値も反映していることは、最近の「オーガニック」商品や「環境にやさしい」とされる製品の全地球的な成長を見ても明らかである。

我々は行動の決定と道徳的規制に関する研究を行ない、いわゆるエコ商品に触れることと、それを購入すことには、極めて大きな結果的行動の違いが生じることを発見した。エコ商品に接した人々はより利他的になるが、実際にそれを買った人は利己的になり、人を騙し盗むこともあえて行う傾向が見られた。”  (抄録のさらなる抜粋)

http://med-legend.com/2010/08/%E3%82%A8%E3%82%B3%E6%B6%88%E8%B2%BB%E3%81%AF%E4%BA%BA%E3%82%92%E9%82%AA%E6%82%AA%E3%81%AB%E3%81%99%E3%82%8B/

ちょっと煽ったタイトルにも思えるが、この文章で取り上げられている論文の著者たちは、エコ消費が逸脱行動の免罪機能を果たす、つまり、エコ消費行動で全地球的善行ポイントを稼いだつもりになり、多少の反倫理的行動には目をつむってしまう、という傾向を見出している。

しかし、この自分本位な「免罪」意識は、エコ方面に限らず結構普遍的なものではないかとワタシは睨んでいる。ワタシが思い出したのは坂口安吾の『風と光と二十の私と』である。

小学校の先生には道徳観の奇怪な顛倒がある。つまり教育者というものは人の師たるもので人の批難を受けないよう自戒の生活をしているが、世間一般の人間はそうではなく、したい放題の悪行に耽(ふけ)っているときめてしまって、だから俺達だってこれぐらいはよかろうと悪いことをやる。当人は世間の人はもっと悪いことをしている、俺のやるのは大したことではないと思いこんでいるのだが、実は世間の人にはとてもやれないような悪どい事をやるのである。農村にもこの傾向があって、都会の人間は悪い、彼等は常に悪いことをしている、だから俺たちだって少しぐらいはと考えて、実は都会の人よりも悪どいことを行う。この傾向は宗教家にもある。自主的に思い又行うのでなく他を顧て思い又行うことがすでにいけないのだが、他を顧るのが妄想的なので、なおひどい。先生達が人間世界を悪く汚く解釈妄想しすぎているので、私は驚いたものであった。

坂口安吾 風と光と二十の私と

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