吉田利勝七段と言われても、よほどのプロ将棋好きでないとどういう将棋を指していたか知らないだろう。しかし、それに関係なく、この文章で語られるかつての将棋連盟(そしてプロ棋士)の財政苦の話はかなり面白い。
日本が高度成長期にあった頃、将棋連盟は急逝した棋士の遺族に支払うお金すら他から借りる、また新聞社からの小切手を換金するまで待てないような有様だったのだ。
その主な原因は、名人戦の賞金が低く抑えられていたためなのだが、現在ひふみんの愛称でも知られる加藤一二三九段が初めて名人戦に挑戦し、それからおよそ20年後13年後にまた挑戦したら、前回と対局料が変わってなかったという(笑い)話がある。
当時名人戦を主催していたのは朝日新聞で、加藤一二三は朝日の嘱託であることを踏まえると、この話は事実だろう。
もちろん棋士たちも朝日に対して契約料の増額を求めたが、加藤と同じく朝日の嘱託だった升田幸三が棋士たちの声を抑えていたことは知られる。
そうして朝日新聞は棋士たちの恨みを買ってきたわけだが、この文章でも書かれる名人戦の移籍騒動が起きたときの逸話として「牛丼の恨みを忘れるな!」という話を書いたことがある。
吉田利勝七段というと、晩年にB級2組順位戦で当時既に竜王のタイトル保持者だった羽生善治と対戦し、急戦の将棋でわざと二手も手待ちの手を指しながら見事羽生に勝利した将棋が印象的だった。その日は羽生も納得がいかず、対局後もいろいろ研究してみたが、どうして悪くなったか分からず、しかし、吉田が手待ちの手をノータイムで指したことを指摘され、「この日のために研究してたのか」と愕然としたという。
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