マイクロソフトは長年大きな失敗を犯したが、今ではまたテック界のスーパースターに返り咲いていることについての記事だが、これはかつて↓という文章を訳したワタシ的には取り上げないといけないでしょうね。
ポール・グレアムが原文を書いたのは2007年だが、確かに当時マイクロソフトは明らかにイケてなかった。「悪の帝国」イメージも健在だったし、この記事ではマイクロソフトの暗黒時代をゼロ年代半ばから2014年までとしているが、「ジョークのオチに成り下がった」という表現が感じをつかんでいる。
しかし、今では再びテック界のスーパースターなわけで、ほとんどすべてに失敗しても企業再生は可能ということなのか、それとも独占企業というものはかくも殺しにくいものなのか(あるいはその両方か)。
これは現在いろいろと憎悪の対象になっている(日本でのみ GAFA と呼称される)ビッグテックについて考える上で、マイクロソフトから学ぶことはないかという話ですね。
マイクロソフトの暗黒時代、実は企業業績はそんなに悪くはなかったのだが(スティーブ・バルマーが CEO を半ば退任させられた2013年でさえ270億ドルを超える利益をあげている)、当時、検索エンジンやスマートフォンへの参入に失敗したのは確かである。
マイクロソフトの再生には、クラウドコンピューティングへの取り組みとそれに伴う企業文化の変化に成功したのが大きい。思えば、ワタシも2008年に「改めてさらばわれらがビル・ゲイツ、もしくはマイクロソフトのクラウドOSへの遠い道のり」という文章を書いているが、「クラウドOS」なんてマイクロソフトの企業文化では実現は難しかろうと正直思っていた。
そしてこの記事では、マイクロソフトの顧客が個人ではなく企業であり、企業向けのプロダクトは必ずしも技術的に優れていなくても勝てる。それが GAFA との違いと分析している。
となると、たとえ新技術に対応できずに中途半端な製品を作り、官僚主義に悩まされたとしても、既に規模がでかくてマーケティングが巧みであれば成功を維持できるということにならないかと疑問を投げかけており、強力な企業が勝ち続けるのに偉大である必要はなく、それに取って代わるものがないだけかもしれないというのがこの記事の締めなのだが、これはいくらなんでもマイクロソフトの企業努力に対して失礼だとワタシは思う。
サティア・ナデラ CEO による相互運用性を高めるアプローチは、明らかにマイクロソフトの製品力とイメージの両方を高めた。今では Windows OS 上で Ubuntu が走るのは当たり前、Windows 11 では Android アプリが動き、Windows 版 iMessage も歓迎というところまできている。これはビル・ゲイツ~スティーブ・バルマー体制の頃には夢にも思わなかった話である。
(現在の)マイクロソフトを未だかつての「悪の帝国」イメージのまま語り、ズレている人をネットでたまに見かけるが、現在その「悪の帝国」は GAFA の側である。企業の Windows ユーザをつかんで離さずに Office のクラウド版を実現した強かさを現在のビッグテックは(マイクロソフトと同様に独占禁止法の適用を逃れながら)学べるだろうか?
ネタ元は Slashdot。
まぁ、今ではマイクロソフト低迷の元凶扱いのスティーブ・バルマーさんもワタシ未だ憎めないんですけどね。