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百花

以下、ストーリーの核心部分に触れますので、未見の方は気を付けてください。

川村元気プロデュースの映画はいくつも観ていて、その中には好きなものも確かにあるが、はなから観る気になれないものが大半である。その彼が初めて監督をすると聞いても食指は動かないのだけど、宇野維正のMOVIE DRIVERを聞いて、これは観ておこうと気が変わった。当然ながら、原作は未読である。

確かにこれはよくできている。最初から原田美枝子演じる主人公の母親、そして菅田将暉演じる主人公それぞれの登場に長回しが適度に使われており、画面に引き込まれる。

題材的にどうしても昨年の『ファーザー』を連想してしまうが、やはり認知症を扱うことで生じるホラー要素は、本作では映像の反復で表現されており、一方で『ファーザー』にはない謎解きの要素もある。

本作はなにより原田美枝子さんが素晴らしい。特に彼女の中年期の場面が良い……と思っていたら、完全に油断していて、ワタシも遭遇したあるイベントの場面には、かなりショックを受けてしまった。

本作は100分少しの上映時間で、間延びしたところがないのも好感が持てる。しかし、本作の謎解きの要素である「半分の花火」が明らかになるあたりがあまりに安易というかテキパキやりすぎていて、どうしようもなくダメだと思った。

母親に「半分の花火が見たい」と言われた帰りの車中で、主人公の妻があっさり「これだよ」と見つけるのもなんだが、その次の場面はいきなりその花火大会に、主人公と母親の二人が出かけている。主人公の母親はばっちり和服姿だが、認知症で施設にいる人を外に連れ出すのって、息子でもそれなりの手続きを要するのではないか? 夜中まで連れ出して、あの僻地にありそうな施設にはいつ戻れるのか? 老親の介護をしたことがある人間なら、いくつも疑問が浮かぶし、そういう面倒をクリアする描写は、謎解きの「溜め」としても必要なものでもないか。それがないので、「半分の花火」の真相が分かるラストにしても、ぼけっとしてたら見えました、という少し間抜けな感じになっており残念だった。

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