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ファーザー

先日帰省した際に時間に空きができたので観に行った。数か月前の『ノマドランド』もそうだが、なんか映画を観に帰省しているような気すらするよ。それにしてもコロナ禍のせいで行けなかった映画がいくつもあって恨めしい。本作は終映近かったためか、客はワタシとあともう一人の年輩男性のみで、これはワタシ的に新記録(?)だった。

さて、本作でアンソニー・ホプキンスは、今年のアカデミー賞において『マ・レイニーのブラックボトム』のチャドウィック・ボーズマンが本命視される中、二度目のアカデミー主演男優賞をかっさらってそのままほぼ沈黙のままテレビ中継が終了という放送事故に近い事態を引き起こした。

『マ・レイニーのブラックボトム』については別途感想を書くつもりで、舞台劇が元になった映画なのが観ていて伝わるのが本作と共通しているが、純粋に主演男優の演技のみを評価するならば、アンソニー・ホプキンスの受賞は妥当としか言いようがない。

やはり一般には『羊たちの沈黙』レクター博士役になるのだろうが、それがなくてもイギリスを代表する名優である。近年の作品では『ヒッチコック』はあまり感心しなかったが、『2人のローマ教皇』は良かった。

その彼が認知症の老人を演じる本作は、時にチャーミングだったり意地悪かったり目まぐるしく感情の表現を変える、快活な老人の自負がただの思い込みでしかなく、基本的な世界の認知(ここは私のフラットだ! ……よね?)が揺らぐ際の動揺まで表現するアンソニー・ホプキンスの演技がやはりすごい。最後になって、自分がある場所に来たことを理解した主人公(役名もアンソニー)が感情をさらけ出すところは、彼の存在あってこそとどうしても思ってしまう。

面白いのは、認知症患者から見た世界にその彼の世話をする家族の感覚まで(老人虐待の問題も含め)シームレスに侵入する描き方により、観ている側にも微妙な緊張を強い、ほとんど心理ホラーの領域に達しているところ。

ワタシは本作を観ながら伯母のことを思い出していた。2年半前の年末、美容院でパーマをかけている途中でなぜか洗濯物を思い出して帰宅し、自宅の玄関で転び大けがを負ったのだが、その日帰省したワタシはその伯母と彼女の家で食事を共にする予定だったため、いくら電話しても通じず、事態を知って仰天したものである(ことの始まりの時点でなんだかなぁなのだが、老人介護の現場はそれの積み重ねなのだ)。

腕の骨を折り、また顔にもインパクトのある損傷を負って入院した伯母を翌日から何度か見舞ったが、前回ワタシが来たことを見事に覚えておらず、およそ5年前に亡くなった娘(ワタシからすればいとこ)がやってきたとワタシに訴え、看護師が来れば、家族が来たから今すぐここから出してくれと訴える伯母を見て、これはもうここから出られるまで回復することはないのではないかと正直思ったくらいである。

娘がやってきたというのを除いても、彼女がベッドで語る話はもはやマジックリアリズムの域に達していた。ただワタシぐらいの歳になると、例えば高熱を出した時に見る悪夢の類を思い出し、彼女の状態もそれなりに想像できる。高齢で唐突に身体の自由が利かなくなった伯母は、そうした不快な現実に耐えていたのだ。

ありがたいことに二月あまりかかったが伯母は退院でき、その後現在まで息子夫婦と福祉の力を借りながら、一人の生活を成り立たせている。退院後、彼女の家で一緒に食事することも叶ったが、ご存知の通りコロナ禍により(県外の人間と会うと、二週間介護ケアを受けられないため)、昨年の2月を最後に一年以上会えていない。月に一度以上は電話を入れているが、先日電話したときも、急に改まった感じで、「あんたには言っておかなくてはならない」と言い出したので何かと思ったら、「娘がやってきて、ずっと私に謝るのだがどういう言うだろうか?」という話だった。

正式に診断を行えば、伯母は認知症に分類されるのだろう。だけど、だからなんだと言うのだ? 本作で描かれる過去と現在の意識の混濁、(おそらく)主人公の夢として現れる思い出したくない次女の悲劇を見て、ワタシは伯母のことをどうしても思い出し、この映画を多くの日本人に観てほしいと思ったし、そして早くまた伯母と会える日が来てほしいと切に思った。

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