日本語版にはまだ翻訳があがってないので取り上げておく。
[追記]:日本語版に「誰もがオープンと言い出した ——AI業界で攻防、オープンソースの定義を巡り」が公開されている。
「テック業界はオープンソース AI のなんたるかで合意できない。それは問題だ――その答えが、このテクノロジーの未来を誰が形作るかを決めるかもしれない」という文章である。記事の冒頭を訳してみよう。
突如として、AI 界隈で「オープンソース」が最新のバズワードになっている。Meta はオープンソースの汎用人工知能を作ると宣言した。またイーロン・マスクは、AI モデルをオープンソースにしていないと OpenAI を訴えている。
時を同じくして、オープンソースの覇者として名乗りを上げるテックリーダーや企業も増えている。
しかし、根本的な問題がある――「オープンソース AI」が何を意味するのか、誰も同意できないのだ。
おいおい、これはまさにワタシが昨年前に既に書いた話ではないか……くらいは言っていいよね?
そして、この記事はこの問題への OSI の取り組み、そしてステファノ・マフリのコメントをとっているのだが、まぁ、そうでしょうね。
Meta の取り組みとその狙いについても、ワタシが二月前に書いた通りですな。
そして、Google は「オープン」とは言うが「オープンソース」とは言わない微妙な違いがあること、いずれにしてもユースケースに基づく制約を課すこれらの企業のモデルをオープンソースとは言えないことにちゃんと触れている。
そして、マフリが訓練データがオープンになってない点について触れているが、これがビッグテックの競争力の源泉である以上、これが簡単にオープンになるとは思えない。
記事では「ホワイトウォッシュ」ならぬ「オープンウォッシュ(open washing)」なんて言葉も出てくるが、オープンソースが企業の競争力の欠かさざるピースになっている現実に触れながら、こと「オープンソース AI」の定義についてはやはり合意が難しいようで、どこかで「現実路線」を見極める必要があるのではというコメントで記事は締められている。
ネタ元は O’Reilly Radar。