Meta のマーク・ザッカーバーグが、AI のオープンソース化について語った言葉がなぜか Slashdot に掲載されているので、その部分を訳してみた。
我々が研究や膨大な計算の成果をオープンソースにして、どのように利益を得るのか疑問に思っている人がいるのは承知しています。ここで戦略的なメリットを説明するのが良いのではないかと思った次第です。簡単に言えば、オープンソースにすることが我々のモデルを向上させます。しかも、他のオープンソースのモデルも利用できるので、我々のモデルを製品にするにはまだかなりの労力を要しますので、オープンソースのリーダーなのは利点はあっても、我々の製品の差別化をなくすことにはなりません。もっと具体的に言うと、戦略的なメリットがいくつもあります。
第一に、オープンソースソフトウェアは通常、コミュニティからの継続的なフィードバック、精査、開発によってより安全で計算効率が高くなります。安全性は AI における最重要項目の一つですから、これは大事です。効率性の向上と計算コストの低減もまた、我々を含むすべての人たちに恩恵をもたらします。
第二に、オープンソースソフトウェアは、往々にして業界標準になります。しかも、企業が我々のスタックでビルドするのが標準になれば、新たなイノベーションを我々の製品に統合するのが容易になります。些細なことに思うかもしれませんが、素早く学び、改善できるのは大きな利点です。業界標準であることがそれを可能にするのです。
第三に、オープンソースは開発者や研究者に絶大な人気があります。そして我々も、人々が広く採用されるオープンなシステムに取り組みたいのを分かっています。つまり、オープンソース化は Meta で最も優れた人たちを採用する助けになるわけで、それは新たな技術分野をリードするうえでとても大きなことなのです。繰り返しになりますが、我々は通常、独自のデータを持ち、独自の製品統合を行っているので、Llama というインフラをオープンソースで提供しても、我々の主要な優位性を弱めることにはなりません。これが、我々の長期戦略が一般的なインフラをオープンソースにすることであり、それがこれからも正しいアプローチであり続けると期待する理由です。
うーん、最初の段落の後半がちょっとよく分からなかったな。
かつて Marco Arment は、Facebook の Open Compute Project を評する文章で以下のように書いている。
今回のような大規模な場合――善意の個人による小規模なオープンソースプロジェクトと違い――何かを「オープンにする」のは、ほぼ必ずそれをコモディティー化しようとしている。できるだけ機会を均等化し、他社が持っていたかもしれない競争優位の存在意義をなくすわけだ。
Marco ArmentがFacebookのOpen Compute Projectを斬る(Facebook’s Open Compute Project 日本語訳)
これは Meta の AI のオープンソース化にも当てはまる話だろうか?
ワタシとしては、「オープンソースの失われた10年と「オープンソースAI」の行方」で書いた、何をもって「オープンソース AI」と言えるのかまだ明確になっていないという問題をマーク・ザッカーバーグは承知した上で、都合よく自社のオープンソース化を宣伝しているように思う。これは彼を批判しているのではなく、ビジネスマンとしてうまいなと思うという意味で。