空中キャンプの「まるっきりパラダイス」を読んで笑ってしまったが、この分野では邦題が輝いている例と逆効果な例の両方がある。
70年代のプログレはレコード会社の異様な気合と気負いを感じる邦題が多くて、キング・クリムゾンの『太陽と戦慄』やピンク・フロイドの『原子心母』の成功は、この邦題なしにはなかったんじゃないかと思うくらい。
ただ同じくプログレでもクリムゾンの『ポセイドンのめざめ』やイエスの『海洋地形学の物語』といった「単なる誤訳」もあるが。
zoot32 さんは最後に『バス男』を挙げているが、コメディー映画ってこの手の悲しいくらいハズシちゃってるものが多い。ミシェル・ゴンドリーの新作映画は公開前に邦題という名の襤褸を着せられてしまった。ワタシのようなパイソニアンは、『ストップ・ザ・売春天国』とか『Hなえっちな変態SMクラブ』とか本当に死にたくなるような(当然ながら原題とかけ離れた)映画の価値を毀損するクソ邦題をつけられてきた長年の恨みがある。本当に「決定するまでにいたる、その議事録を読ませてくれないか」だよ。
パイソンズ関係の映画の邦題で感心したのはジョン・クリーズ師匠の『ワンダとダイヤと優しい奴ら』くらいか。リズムが良く、映画のジャンル、内容をうまく伝える邦題である。
ただ海外文学の翻訳の世界では新訳で原題カタカナ表記に変わる例が散見され、それについてこれは村上春樹の翻訳仕事の負の遺産じゃないか? と煽ったことがあるが、これはこれで寂しいものがある。