第1回ウェブ学会シンポジウムが開催された。
個人的にはいろいろ刺激になるところがあったが、江渡浩一郎さんの「Wikiとコラボレーションの過去・未来」において、集団的知性(Collective Intelligence)と群衆の知恵(Wisdom of Crowds)の二つが「集合知」として混同されているという話にはっとした。前者がエリート主義的な傾向があるのに対して、後者は反エリート主義的な傾向があり、確かに両者は同じように扱ってはまずい。
その後江渡さんは、アメリカでの Goverment 2.0 の動き、電子政府の実現にクラウドコンピューティングを活用し、政府はできるだけデータを公開して、政策の実現には市民が直接的に関与する話を踏まえ、集合知による政府(「Wiki政府」)の話をされていた。
午後のセッションでは東浩紀、津田大介、濱野智史による「民主主義2.0」ディスカッションがあったのだが、正直三者の誰にも特に肩入れする気になれなかった(鈴木健さんの発表は面白かった)。そうしていると切込隊長の以下の tweet にまたはっとした。
民主主義は集合知じゃないよw RT @masakiishitani #webgakkai 民主主義はそもそも集合知だったはず、ただ投票に強く依存してきた
http://twitter.com/kirik/status/6421591811
集合知はモデルも数学的にある程度確立している概念のはずで、そこから導き出すと制度的には民主主義より専門化社会や官僚制が正しいという結論になる RT @****** @kirik 民主主義は集合知じゃないよw @masakiishitani #webgakkai
http://twitter.com/kirik/status/6422421199
はっとはしたがうまく咀嚼できずにモヤモヤしていると、偶然山形浩生が『「みんなの意見」は案外正しい』文庫版の解説を書いているのを知り、読んでみたら切込隊長の tweet に対応する箇所があって三度はっとした(以下、強調は引用者)。
そしてそこに実は気をつけるべき点がある。集合知とか「みんなの意見」というと、何かそういう意見や知識が自然に実体的に存在するような印象を持ちやすい。でも実は「みんなの意見」は、かなり高度な手法でだれかが作り上げるものだ。自然に生まれる合意のようなものではない。その意味で、個人的にはこの種の集合知を民主主義とつなげて論じるありがちな議論に、少し疑問を抱いている。
たとえば「集合的にベストな意思決定は意見の相違や異議から生まれるのであって、決して合意や妥協から生まれるのではない」(p.18)と本書は言う。意見集約には投票すべきなのだそうだ。でも、何でも投票で片付けて少数意見を切り捨てるのが民主主義ではないのも当然だろう。妥協と合意のない政治などあり得ない。その意味で著者の言う集合知や「みんなの意見」は、実は究極のところで民主主義とは似て非なるものなのかもしれない。その「意見」が集約され、作り上げられるプロセスには、ものすごく警戒が必要なはずなのだ。
みんなの意見の意義と限界:『「みんなの意見」は案外正しい』解説
なんか自分の浅い理解が振り出しに戻った感じがしたし、ここまで読まれた方にはワタシが『「みんなの意見」は案外正しい』を読んでないのもバレてしまったが、何より自分の集合知についての理解の浅さ、適当に言葉を使ってきたことに情けなくなった。
まずはちゃんと『「みんなの意見」は案外正しい』を読むところから始めたものか。文庫になったことだし。
- 作者: ジェームズ・スロウィッキー,小高尚子
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2009/11/21
- メディア: 文庫
- 購入: 15人 クリック: 203回
- この商品を含むブログ (50件) を見る