この問いについて、ズバリ答えている文章がある。クレイ・シャーキーの「新聞、考えられないことを考える」である。原文が書かれたのは、今から5年以上前になる。
この文章のことは何度も引き合いに出しているが、今一度強烈な部分を引用しておこう。
「新聞をどう別のものと取り替えると言うのだ?」と知りたがる人は、我々が革命の時代を生きているんじゃないと本当は言ってもらいたいのだ。新しいシステムに交代するまで、古いシステムは崩壊しないと言ってもらいたい。古の社会契約は存続の危険に晒されていないし、コアの組織はそのまま見逃してもらえると言ってもらいたい。情報伝播の新手法は、これまでのやり方を改善するものであって転覆するものではないと、言ってもらいたいのだ。
Long Tail World: クレイ・シャーキー「新聞、考えられないことを考える」:Clay Shirky's "Newspapers and Thinking the Unthinkable"
新聞業界人はよく、新聞は社会全体の利益になると言う。それは本当にその通りなのだが、今さしあたっての問題には関係ない。;「俺たちがいなくなったら、寂しくなるぞ!」 ―という台詞がかつてビジネスモデルだった試しはないからだ。
Long Tail World: クレイ・シャーキー「新聞、考えられないことを考える」:Clay Shirky's "Newspapers and Thinking the Unthinkable"
社会は新聞を必要としない。必要なのはジャーナリズムだ。1世紀もの間、ジャーナリズムの強化と新聞の強化は互いにあまりにもきつく1本に括られてきたので、どっちがどっちか見分けがつかなくなっている。これは良き偶然だった。が、その偶然が終わった今(まさに我々の眼前でそれは終わっている)、それに代わる様々なジャーナリズム強化策が求められている。
Long Tail World: クレイ・シャーキー「新聞、考えられないことを考える」:Clay Shirky's "Newspapers and Thinking the Unthinkable"
今読んでも、新聞社に勤める人だったら胃がねじれそうな文章である。もちろんシャーキーの答えが「正答」とは限らない。しかし、「俺たちがいなくなったら、寂しくなるぞ!」 ―という台詞がかつてビジネスモデルだった試しはないというのは、まんま今の日本の新聞メディアに当てはまる話だろう。
- 作者: クレイシャーキー,岩下慶一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2010/05
- メディア: 単行本
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