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30年前に渋谷陽一はビーイングについてどう評していたか

togetter.com

昨年末のNHK紅白歌合戦に特別枠で初出場して話題をさらった B'z を巡り、年明けに X などで議論になってるのを見かけた。

その関係で、速水健朗さんの元日のツイートが気になった。

このあたりの議論で、渋谷陽一の過去の評を思い出した人が結構いたようだ。

というわけで、昨年から断続的に行っている渋谷陽一の文章の引用を今年もやりたいと思う。

X を見ると、以下引用する文章のキャプチャをあげている人が既にいるので、以下は自分のための記録の意味しかないが、もう議論も大分出尽くし、火の勢いもさすがに弱まったところを見計らってやらせてもらう。

まずは「道徳主義的なビーイング批判はムカムカする」である。以下は『ロックはどうして時代から逃れられないのか』の468~472ページから引用するが、この文章の初出は1994年7月の「季刊渋谷陽一 ブリッジ3号編集後記」である。

この文章は、「ビーイング系のミュージシャンの評判が良くない」という文章から始まり、アンケートでも嫌いなバンド、ミュージシャンに高ポイントで登場するが、具体的な名前でなく「ビーイング系」と書かれている場合が多いという話になる。これだけひとつのプロダクションの音が象徴的な意味を持ったことはないので、これは画期的なことかもしれないと渋谷は書く。

実際、ロッキング・オン社から出ている雑誌にビーイング系のミュージシャンは登場しないのだが、別に絶対に掲載しないと決めているわけではないという。

というか、実はビーイングというプロダクションはそれほど嫌いではない。意外に思われる読者も多いかもしれないが、本当なのである。今や怪物のように言われている長戸大幸にしても、昔からよく知っているし、この業界ではわりと話の合う人間の1人である。確かにこんな状況になってからは本当に様子のおかしいところもあるようだが、たまに電話で話をする分には普通である(当り前か)。
 それじゃ、何で僕の出している雑誌にビーイング系のミュージシャンが登場しないのかと言えば、それほど嫌いではないが、好きでもないからだ。馬鹿野郎、だから何が言いたいんだよ、とか怒られそうだが、つまりビーイング系のアーティストなんぞより嫌いなバンド、ミュージシャンはいくらでもいる、ということなのである。今のビーイングは一種のスケープゴートになっているだけなのだ。

ビーイングの方法論は昔の歌謡曲と同じで、タレントを見つけてきて、有能な職業作家が曲をつけ、今風のアレンジでやっつけるという産業ポップスの王道を歩んでいるだけのこと、と渋谷は断じる。長戸大幸というプロデューサーの市場を見る目が正しく、それを実行できるスタッフがいるから成功したのだ、と。

あんなことでは本当の音楽が育たないとか、100年前の道徳の教師みたいなことを言って批評する奴もいるが、ポップ・ミュージックなんて、そんなもんなのである。だからポップ・ミュージックは面白いのであるし、そんなモンキー・ビジネスの中から普遍的なスタンダード・ナンバーが生まれたりするのだ。

このあたり、「僕は売れるポップ・ミュージックが大好きだ」で書いていたことを思い出す。

ビーイング以下の音しか作れない連中がやるビーイング批判は単なるヒガミでしかないし、道徳主義的なビーイング批判を目にすると、何故かムカムカと腹が立ってくる、と渋谷は書く。

どっかの週刊誌がビーイング批判の大特集をやった時コメントを求められたが、意地でも批判的なコメントを出さなかった。結局、その特集で唯一、肯定的なコメントだった。その週刊誌が売れて、ビーイングからお礼の電話があり、ひょっとすると100万ぐらい送られてくるかと思ったけど、何もなかった(当り前か)。

とボケた後に渋谷は、当時放映されていたアニメの『スラムダンク』を毎週観ている話をする。このアニメのオープニングとエンディングのテーマ曲の利権を独占しているのがビーイングであることを指摘した後にこう書く。

だからというわけではないが、このアニメとビーイングというのが、非常にイメージ的にダブって仕方がない。東京近郊、B級の高校、ちょっとしたヤンキーノリ、体育会系といった連想がビーイングに近いのだ。多くのプロダクションの持つ、東京中央集権主義、A級アーティスト指向、文科系クラブノリといったものと反対の方向に進んでいる気がするのである。B'zはLA録音とかしたりしているが、長戸大幸の発想の中にあまり海外進出といった上昇指向はないような気がする。あるとすれば東南アジアのマーケットはおいしそうだとか、そういうものではないだろうか。つまり徹底したリアリズムである。同じ経営者として、そうしたところは共感できる。

このくだり、リアルタイムに「ブリッジ」を本屋で立ち読みしていて、納得した覚えがある。

そして渋谷は、したり顔のビーイング批判とか出てくると腹が立つのであると書いた上で、「うーむ、これくらい書けば、今度こそ100万送られてくるかな」と締めている。

続いては、松村雄策渋谷陽一『40過ぎてからのロック』収録の「ロックとは挫折なのか」から引用する。つまり渋松対談ですね。

渋谷 『BRIDGE』の三号がビーイングの社員にやたら売れているらしいぞ。
松村 何だ、ビーイングって、あのZARDやB'zのビーイングか?
渋谷 おっ、お前でもビーイングは知ってるんだ。
松村 当たり前だろう、trfだって知ってるぞ。
渋谷 お前の口からtrfとか出ると、なんかプロレスの団体みたいだな。
松村 うるせえな、だからビーイングがどうしたんだよ。
渋谷 いや、『BRIDGE』の三号を買ってるビーイングの社員が多いんだってさ。
松村 ビーイングのミュージシャンの特集でもしたのか?
渋谷 いや、うちの出版物にはビーイングのミュージシャンは一切登場しないんだよ。
松村 じゃあ、なんで売れてんだよ。
渋谷 あとがきにビーイングについて書いたんだ。
松村 誉めたのか。
渋谷 うーん、誉めたというかけなしたというか、作ってるもんはB級で、雑誌でとりあげる気はしないけど、金を儲けるのはうまいって書いたんだ。
松村 それはけなしてんじゃねえのかよ。
渋谷 どっちかというと、都会的というよりも田舎臭くて、そのへんが売れる原因じゃないか、って書いたんだ。
松村 だから、けなしてるんだろう、それは。
渋谷 いや、違うって。ビジネスの在り方としては正しいって書いたんだよ。B級であろうと、田舎っぽくたって、百万枚、二百万枚売るってのは、ちゃんと今の市場性を把握してビジネスしてるってことじゃないか。しかも、そうやっていくつものミュージシャンを世に出してるのは立派だよ。音楽の好き嫌いで言えば、正直言って好きじゃないけど、プロダクションとしては評価するね。
松村 ふーん。
渋谷 それで、これだけ誉めたんだから百万ぐらい包んで持ってこないかな、って書いたんだ。
松村 馬鹿か、お前は。持ってくるわけないだろう。
渋谷 いや、そうしたら発売日にいきなりビーイングから電話があってさ。
松村 怒ってただろう。
渋谷 いや、喜んでたぜ、というか笑ってたな。
松村 百万くれたか?
渋谷 くれって言ったけど、百万はあげられないけど飯ならおごるって。それで、実はきょう飯を食ってきたんだ。
松村 御土産に百万入ってたか。
渋谷 いや、最後に小さな紙袋を「じゃあこれを」とか言って渡されたんで期待したんだけど、中見たらZYYGのCDが入ってたよ。
松村 何だそれ。
渋谷 ビーイングの新人バンドだよ。
松村 単に飯食ってプロモーション受けただけじゃねえか。
渋谷 そうかも知れない。それからB'zのファンクラブの会報もくれたぞ。
松村 お前、なめられてんじゃねえか。
渋谷 そうかな。なんか、そんな気もしてきたな。

その後もロッキング・オン社の雑誌にビーイング系のミュージシャンは登場しなかったはずだが、それにも関わらずビーイングは「ブリッジ」に「がんばれ、渋谷陽一」という広告を出稿したのではなかったかな。

[2025年1月10日追記]:宇野維正さんから以下のコメントをいただいた。「その後もロッキング・オン社の雑誌にビーイング系のミュージシャンは登場しなかった」というのは間違いでした。

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