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すずめの戸締まり

ようやく観た。新海誠作品を映画館で観るのは、『秒速5センチメートル』以来、実に15年ぶりである。

別に『秒速』後の彼の作品を嫌っているわけではなく、たまたま映画館で見逃しただけで、例えば前作『天気の子』は、少し前に Netflix で観ている(最高でした)。

本作はいきなり「閉じ師」が後ろ戸を閉めるアクション展開に叩き込まれ、事前情報をほぼ入れずに観たワタシなど、そういう映画だったんだーとなったが、そもそも主人公がどうして道ですれ違っただけの草太にあそこまでかかわってしまうのか、彼女が考えなしに引き抜いてしまった要石あらため白い猫が自然発生的に「ダイジン」と呼ばれるのか、とにかく展開が強引である……と書くとけなしているようだが、そういう強引な展開に引き込む力量を現在の新海誠は確かに持っているようだ。

新海誠は『君の名は。』以降、東日本大震災のトラウマを作品に取り込んでいるが、本作はそれを正面切ってやっている。いくらなんでも日本、地震起こりすぎだろとも思っちゃうが、宮崎から四国を経て神戸、東京、そして東北まで、ある意味、震災巡礼めぐりのロードムービーである。

本作は、縦方向の移動が多用されるなどかなり宮崎駿のオマージュを感じるが、この作品はある意味国民的アニメ作家として、宮崎駿の次を継ぐことを宣言する作品なのかもしれない。性的なフェティッシュ表現が抑えられているのも、国民的アニメ作家としての責任感ゆえだろうか。

上に書いたように展開や設定の強引さはぬぐいがたく、劇中主人公が出会う人たちが皆親切すぎるとかも思うし(何より草太の友人である芹澤の存在設定自体かなり謎だ)、やはり本作にも「セカイ系」という言葉が頭をよぎる。作品としては『天気の子』のほうが好きなのだけど、本作にそうした問題をねじふせるエンターテイメント性があるのは確か。

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