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フェイブルマンズ

レイトショーとはいえ、公開最初の週末に客はワタシともう一人だけだったが大丈夫か。

ワタシ自身もっとも多くの作品を観ている映画監督といえば、間違いなくスティーヴン・スピルバーグになるだろう。おそらく世界中の映画ファン、ワタシのような初心者からシネフィルまで含めても、そうなのではないだろうか。何よりスピルバーグは多作だし、半世紀にわたりキャリア上の低迷期はほぼなく、彼は第一線でヒット作を作り続けた。

本作は、そのスピルバーグの自伝的作品であり、彼自身語る通り、これを作らずにキャリアを終わらせるわけにはいかなかったのだろう(し、それには両親の死を待たなければならなかった)。およそ一年前、我々は「映画の終焉」を見ているのではないか? という話を書いたが、『リコリス・ピザ』など観ても、残るのは自伝的な作品ということだろうかと思ったりする。

もちろん、スピルバーグの過去作、それこそ『未知との遭遇』や『E.T.』といったキャリア前半の代表作からして、父親の不在などに彼の映画の特色を感じ取ることは可能である。ある意味本作は、スピルバーグ自身による過去作の謎解き、は大げさにしてもある種の解説と言える。そうした意味で、本作の描写に過去作を見出して喜ぶ彼のファンは多いだろう。やはり猿の登場にインディ・ジョーンズを思い出すし、個人的には『宇宙戦争』でもっとも戦慄した場面が鮮烈に再現されていて唸った。本作を観ると、彼の映画が恐怖と笑いの両方を備えている理由も伝わる。

主人公の両親が「科学者と芸術家」とはっきり色分けされ、サーカス芸人だった主人公の母親の叔父が語る「芸術は心を引き裂く」という分かりやすいテーゼが語られる。両親の離婚により家庭が安住の地ではなくなった主人公にとって映画が残る居場所だったことが描かれているが、家族のシリアスな場面でカメラを回し始めるという残酷な想像シーンはそれをよく表しているし、彼の才能がある意味呪いであることも描かれている。

ただ、本作にはそのように分かりやすい二項対立をかかげながらも、微妙なズラシがいくつかあるのも注意が要る。本作自体、感動の映画愛に満ちた自伝作を期待させながら、それから確実にはみ出している映画でもある。

さて、以前スピルバーグの新作にある人が参加しているというニュースを読み、いったいどういうことなんだろうと不思議に思いながらすっかり忘れていたので、本作の最後におけるあの人登場には驚いた。

そして、ラストシーン、くいっとカメラが角度を上げるユーモアにB級映像作家としてのスピルバーグらしさがよく出ていた。

キャストでは、なんといってもミシェル・ウィリアムズの演技が素晴らしかった。あとジョン・ウィリアムズの音楽もよかった。

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