北野武の映画を映画館に観に行くのは『アウトレイジ ビヨンド』以来である……って、10年以上ぶりなのか!
ひょうきん族世代であり、テレビタレントのビートたけしには大きな影響を受けてきたワタシであるが、その映画は体質に合わないところもある。
実は時代劇のたけしはかなり良いと以前から思っていて、本作と描く時代がかなり異なるが、かつて1990年に彼は『忠臣蔵』で小心者の大石内蔵助を好演しており、実際大石内蔵助こういう人だったんじゃないかと思わせる、ワタシが今まで見た大石内蔵助の中でもっとも良かったくらいである。
本作は、その彼が撮った本能寺の変である。彼自身が羽柴秀吉を演じているのをみると、1990年と言わなくてもせめて20年前に撮ってほしかったという気持ちはあるが、キャスティングは良かったですね。織田信長を演じる加瀬亮や曽呂利新左衛門を演じる木村祐一など。
本作を貫くのが残虐性と男色だが、加瀬亮信長の狂いっぷりと羽柴秀吉と羽柴秀長のやりとりがコントになるところのギャップなど、普通であれば映画としてノイズになるのかもしれないが、不思議とイヤな感じはしなかった。
タイトルにある通り、本作ではいやになるほど首が斬り落とされる。しかし、そのラストでも明らかなように、その首には何の重みも人間らしさもない。
信長、秀吉、家康がしっかり出張る物語を作るなら、フォーマットとしては映画よりテレビドラマのほうが向いているだろう。本作は映画として成功しているかはワタシには分からないが、テレビドラマに還元されない映画としかいいようがない時間体験をさせてくれるのは確かである。