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エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

この3年間、ワタシはマスクをして映画館で映画を観てきたんだな、とワタシはこの映画を観ながら思い当たった。

なんでそんな当たり前のことを今更思ったのか? この3年間、コロナ禍前より少ないとはいえ、面白い映画、面白くない映画、いろんな作品をワタシは映画館で観てきた。

しかし、マスクをしたままボロ泣きすると、こんな状態になるんだな、と分かったのだ。どうやら、この3年間で初めてワタシは映画館で泣いてしまったようだ。

言っておくが、本作を傑出した映画だとはワタシは思わない。ミシェル・ヨーに何の思い入れもないし、正直観る前には果たして本作が楽しめるか不安なほどだった。元々ワタシは「マルチバース」というアイデア自体が、近年あまりに都合よく利用され過ぎているように思えて好きになれないし、実際観始めてあんまり好みの映画じゃないかな、と思ったくらい。

本作はミシェル・ヨー演じる主人公とともにマルチバースに叩き込まれる映画で、とにかくバカバカしいしハチャメチャである(映倫もさ、こんな映画にモザイクかけるの止めろよ!モザイクは本国版にも入っているそうです)。そのカオスぶりを突き詰めれば、どんな世界にも意味はないというニヒリズムに陥るしかないのだけど、その人生をどのように肯定できるのか?

そこでキー・ホイ・クァン演じる弱々しい主人公の夫が、その弱々しさを隠すことなく必死に紡ぐ言葉、どんな生にも尊く価値があり、だから優しくしようよ――キー・ホイ・クァンそのものとしか思えないその存在自体がワタシを泣かせた。

冷静に考えれば、本作はマルチバース版『マトリックス』の家族映画とまとめられるのかもしれないが(重要な役割を担う主人公の娘がちっとも可愛くないのは新鮮だった)、正直賞レースを爆走するような映画には思えない。映画にちりばめられた小ネタがアメリカのネットミームの文脈に依っているのも気に入らない。しかし、それでも本作に何かしらのマジックがあるのは確かだ。

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