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1991年の山下達郎インタビューに見る根深い孤立感と不信感

少し前に、以下のツイートを目にした。

このあたりについて参考になる山下達郎のインタビューを参照してみたいと思う。

というわけで、1989年から2004年まで読者だった rockin' on のバックナンバーを引っ張り出す「ロック問はず語り」だが、今回引用するインタビューは、rockin' on ではなく CUT 1991年7月号に掲載されたもの。アルバム『ARTISAN』の発表を受けてのインタビューですね。

インタビュアーの渋谷陽一は、リード文で以下のように書いている。

タツロー、ユーミン、サザンと言えば、ここ10年来、日本のポップ・ミュージックをリードし続けた3大ブランドである。その時々の流行りの音はあっても、この3大ブランドは揺ぎない評価と人気を一貫して保ち続けてきた。中でも山下達郎は、妻である竹内まりやのレコードもプロデュースし、150万枚のメガ・セールスにするなど、まさに日本のポップ・ミュージック界の頂点に立っていると言っていい。(中略)人気、ミュージシャンとしての評価、どれをとっても今の山下達郎は幸福な状態にあると言える。

しかし、そうした状況認識の下に、本人にインタビューすると、何かうまく嚙み合わない。確かに目に前に居るのは天下の山下達郎なのだが、何か売れないパンク・ミュージシャンのインタビューのような内容になってしまう。

音楽ジャーナリズムへの強烈な批判、状況への怒り、自分のセールスに対する不信感、そしてそうしたものを論理的に語る文脈、それは僕らが考える山下達郎的なるものとことごとく食い違っている。言うまでもなく、僕らの考える山下達郎的なるものが、実際の山下達郎とは無縁なところで作られた虚像である為に生じる食い違いなのだが、本人はその落差と延々と闘い続けてきた。長い下積み時代を経て獲得した現在の成功も、そうしたものを清算できるものではない。

このインタビューでは、日本のポップ・ミュージック・シーンにあって一人孤独な闘いを続けてきた彼の軌跡を追ってみた。

インタビューは彼の高校時代の話から始まるが、バンドでレターメンをやってたという山下達郎に対し、当時の学校組織への反抗心といった志向性は、それこそハードロックとかに向かうほうが分かりやすそうだが、そういう音楽とのオーバーラップはなかったのかという質問に、山下達郎はキッパリ答える。

「しない。だから、その渋谷くんが訊いてることは、僕の中でも強力に大きなジレンマなの。で普通ね、ロックとかいうようなものの動機っていうのは、たとえば反体制とかって古びた言葉だけど、そういうアイデンティティーとソーシャルの関係の中での摩擦を音楽的なもので解消しようとかいう、そういうエネルギーから発するものが多いんだよ。ただ僕が素直に心から感動する音楽っていうのは、そういう種類の音楽ではなかった。だけど、僕もそういう時代を生きてるから、そういう学生運動の端っこにもいて、見てるし、要するに若気の至りの反発心とかそういうのもあるんだけど、そういう反発から当然帰結するべき音楽のスタイルはダメなんだよ。だから私生活のそういう政治的・文化的な側面と、あと音楽的に純粋な、審美的とか優美的とか言われてるこの美的な感受性っていうのが、まったく切り離されてるのが僕の最高・最大のジレンマなんですよ」

この人は筋金入りですね。そのジレンマはプロになって増幅されたのではないかという質問に、山下達郎は音楽評論家に牙をむく。

「増幅された。で、とくにプロんなってからショックだったよね。自分の音楽が全然初めは、自分が思ってたようには世の中に受け入れられないっていう。とくに評論家に受け入れられないっていうのがすごくショックだった。だって評論家はもっと頭いいと思ってたから」

その当時の孤立感と不信感がとても根深いものであることを、当人は以下のように語る。

「いや、だから、今僕がフロント・ラインに立ちたくないと思うのは、その時の被害者意識がすごく大きいからだよ。それでソロんなっても下積み長かったでしょ。だからやっぱり僕はいまでも世の中に許容されないんじゃないかっていう恐怖感がすごくある。(後略)」

「で、ソロになったらソロになったで結局やっぱり今度は、やってることがマニアックだっていうか、難しいっていうか、今から考えるとそういう感じなんだろうけど。それでやっぱりマニアックな音楽に群がる人はマニアックだから、それもまたほめるより揶揄のほうが多いっていうかさ。しょっちゅう手紙が来たよ、『ライド・オン・タイム』を出した時にはずいぶん手紙が来たな "裏切った" とかさあ」

そして、対音楽評論家の話になると止まらなくなる。

「いや、口が達者だから嫌われたんだよ、逆に。だって評論家よりもさあ、僕のほうが音楽を知ってんだもん」

――で、そういうとこでケンカしたりとか何とかあるわけ?

「もうしょっちゅうあるよ! しょっちゅうあった。だって向こうが『サザン・ロックがどうたら~~』とか言うと、『あんたの言う、それはサザン・ロックと違う』と『規定概念が違う』っつって」

――(笑)やなやつだなあ(笑)。

「それはB・J・トーマスとか、クラッシックス・フォーとか、ローリー・レーベルとか、スタジオ・ワンとか、そういうとこまで行ってからサザン・ロックなんだよ。『リズム&ブルース? わかったよ。アーサー・アレキサンダーとベティ・エヴェレットまで行ったら話しましょう』とかさあ。そういうようなこと言うでしょ。それは嫌われるよね」

……それは嫌われるよな。

「こっちもゴロツキだけどさあ。いきなり入って来るでしょ、パッと見てさあ、『聴いたんだけどさあ、ハッキリ言ってかったるいよね、これ』とか。で『どうしてこういうことするわけ?』っつう」

――へぇー。

「そんなの、もう物ぶん投げて帰るよね」

――ははははは。

「だから俺は、すごくそういう意味でもケンカの多いミュージシャンだったよ」

――へぇー。じゃあ、そこでもいよいよ敵ばかり?

「そうそう、孤立するわけ。たとえば誰かミュージシャンと対談するとかいったってさあ、『あんなやつとやりたくねー』っつって」

――言われるわけ?

「いや、俺が言うの」

こういう話になると、山下達郎の一人称が「僕」から「俺」に変わる。

渋谷陽一山下達郎にインタビューするようになるのは、彼のブレイク後になる。

――で、インタビューするたんびに、『こんなに売れてんのはウソだと思ってる』って言って、何を訳のわかんねーこと言うミュージシャンなんだろうなあ(笑)と思ってたんだけども。

「(笑)」

――やっぱりそれはほんとだわなあ。

「そうだよ。だから『ライド・オン・タイム』でヒットした時ってさあ『何でこんなに簡単に行くんだろう!?』って思ったもん」

こうやって引用しているとどこまでも続くのでこのあたりにするが、これ以降も、こんなもんで浮かれちゃダメだぞ、浮かれるな! 浮かれるな! と必死に自分に言い聞かせた話をしていて、冒頭引用したツイートで Andy さんが書くところの「流行り物」「チャラチャラした音楽」と見られていたことを本人も意識していたのかもと思ったりする。

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