記事タイトルは例によって R.E.M. の It's the End of the World as We Know It (And I Feel Fine) のもじりである。
この記事の著者の Farhad Manjoo は David Pogue の後を継いだ New York Times のテクノロジー分野のコラムニストなのだけど、彼がコンピュータでプログラミングの喜びを最初に知ったのは5歳か6歳だったという話から始まる。
当時のコンピュータときたら今から考えられないくらい非力だったが、それでゲームを遊ぶうちに BASIC で自分もプログラムを書くようになり――というよくある話である。
高校まではプログラミングも熱心にやっていたが、大学で自分がコードを書くより言葉を書くほうが適していることを自覚する。そして、確かにコンピュータは面白いが、それを最大限に活用するために人間が苦労してプログラミング言語を学び、コーディングすることにどうも後ろ向きな感じもしたという。そんなに機械が賢いなら、機械のほうが人間の言ってることを理解すべきじゃない?
それが遂に実現するかもしれない、と Farhad Manjoo は書く。これからの数年で、人工知能はコンピューター・プログラミングを希少で報酬の高い職業から、広範な人がアクセス可能なスキルに変えてしまうかもしれない、というわけだ。
高度なコーディング技術を持つ人が必要なのは変わらないが、それ以外の人たちには AI がアシスタントの役割を果たし、誰もがプログラミングをできるまでになる未来に急速に近づいていると彼は見ており、Google や Apple でエンジニアだった Matt Welsh の The End of Programming における「プログラミングは時代遅れになるだろう」という今年初めの予言(たった半年で予言といいたくなるくらい昔に思える)が引用される。
そして Farhad Manjoo は、少し前まで「Learn to code!」というのがしきりに言われたのを少し皮肉っぽく引き合いに出しており、記事の締めは、コーディングは彼が(40年位前に)初めて買った PC と同じくらい時代遅れになるかもねと書いている。
昨年あたりから AI による「プログラミングの終焉」の話は話題になっており、上で引き合いに出されている Matt Welsh の文章についても今回の Farhad Manjoo とほぼ同じタイトルの文章で反論(というか嘲笑)されている。日本でもプログラマーの需要は激減し、すでにノーコードが当たり前、という記事が炎上したりもしている。
しかし、それから半年近く経って、New York Times で「プログラミングの終焉」話がまた煽られているわけだ。
ワタシとしては、このブログで何度か取り上げてきたマイク・ルキダスの文章(例:コーディングの自動化とプログラミングの未来について)を読み返したくなるし、やはり彼が書いているAIとのペアプログラミングをグッと前進させた形が実現するのではないかと思うわけです。
ネタ元は Slashdot。