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怪物

もともとは前週金曜に出張のため行き損ねた『クリード 過去の逆襲』を観に行くつもりだったが、行きつけのシネコンでは IMAX はおろかレイトショーすらやっていなかったため、本作を公開初日に行ってきた。

是枝裕和監督の作品を映画館で観るのは『万引き家族』以来5年ぶりになる。その間に海外資本の作品が2本あるが、いずれも単純に都合がつかずに映画館では観れなかった。

本作についてはできるだけ事前情報を入れずに観たのだが、それがよかったと思う。傑作だった。ただただ傑作だった。

以下、内容に触れますので、未見の方はお気をつけください。

どうしても『羅生門』を連想する三幕構成の映画だが、それぞれの視点からの描写がまったく異なる『羅生門』と違い、本作はある人物からすると理不尽で奇怪ですらある描写の意味が、別の視点により見えてくる構成であり、その上手さが際立っている(決定的な破綻の場面で流れる不協和音の意味!)。

ただ、すべてが明らかになるわけではなく、ワタシ自身、例えば田中裕子演じる校長についてよく分からないところがあった。微妙に分からないところが残り、その意味合いを人と語りたくなる映画である。

本作における「怪物」は誰なのか? 本作の登場人物を誰か名指ししても、しっくりこないか、あるいは安易に思えるだろう。本作のある視点から見た、これはおかしいだろ、これはこうに決まってるだろ、という思い込みは、別の視点によっていかに「見えてない」か明らかになる。その前提としてそれぞれ当たり前のようによりかかる常識が身近な人を傷つけることもあり、また人は当たり前のように嘘をつくし、子供はしょうもないことで囃し立てたり、大人も気軽に他人の噂話をする――そんな一皮めくれば実は何も見えてないのに、見えているかのように決めてかかる誰もが持つ心性こそが人を「怪物」にする、本作の登場人物は皆、それぞれの形で「怪物」を内に飼っているということではないか、とワタシは解釈した。

ご存じの通り、本作は先のカンヌ国際映画祭脚本賞クィア・パルム賞を受賞している。映画祭での受賞が一種のネタバレにつながるという珍しい例だったわけだが、それに関連して、声の大きい人が Twitter で騒ぎ立てているのを見かけて、端的にイヤな気持ちになったが、本作を観た後だとそれが示唆的に思える(穏当な表現)。

本作の光に満ちたラストはたまらなく美しかったが、その前の主人公の母親(安藤サクラがいつもの演技プランでいつもの演技)と担任の教師(永山瑛太が実にキモく演じていて良い)のあの描写とつながっていないように思える。ということは、あの美しすぎる光景は実は……とか思ったりした。

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