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ラスベガスをやっつけろ

DVDジャケット

さて、ハンター・トンプソンが自殺してしまった。彼と彼の仕事について網羅的に書かれた文章となると『ラスベガス★71』の多忙性饒舌症な訳者あとがきあたりだろうか。個人的には、彼の自殺報道に関して、ゴンゾー・ジャーナリズムを「際物報道」と訳しているところがあったのが何だか受けた。あと「ゴンゾー(ならず者)ジャーナリズム」という表記とか。

本作はその彼の代表作『ラスベガス★71』(原題:Fear and Loathing in Las Vegas)のテリー・ギリアムによる映画化である。

スカッとするような映画を期待すると、思いっきり失望すること請け合いである。ただそれならじめじめした陰鬱な映画かというとそんなことはまったくない。この映画が本質的に不快なのは、主要な登場人物の誰にも感情移入できないからである。しかも物語の構造上そうなってしまうというのでなく、主人公達のジャンキーらしい身勝手さによるものだから。

しかしそれは当然テリー・ギリアムの意図したものであり、彼の長年のファンとしては、モンティ・パイソンのアニメ時代のナンセンスと『未来世紀ブラジル』以来久方ぶりに辛辣さが戻っているのが嬉しかったが、『未来世紀ブラジル』のようにそれがファンタジーと渾然となって力を発揮するようなところに欠ける。それでもこの映画における冗談のように荒廃した部屋やジャンキーの感覚の再現はかなり見事だと思うよ(もっとも後者の妥当性に関してはワタシには判断できないわけだが)。岸田裁月さんが書くように、

 観れば観るほど新しい発見があり、学ぶところも大きくなる。噛めば噛むほど味が出る「都こんぶ」のような映画なのだ。本作が10年後、大傑作として世に受け入れられることは、まず間違いないだろう。

という言葉はあながちウソではない。でも、観る人によってはかなり不快なので、何度も観るのがつらいのも確か(笑)

何より主役二人を演じるジョニー・デップベニチオ・デル・トロの極端な役作りがとんでもないし、トビー・マグワイアクリスティナ・リッチエレン・バーキンといった有名どころが実に美しくない感じで登場し、主人公達にひどい目に遭わされるというのがなんとも。

WikipediaHunter S. Thompson ページによるとデップとトロ様が同じくトンプソンの小説の映画化で再度タッグを組む(トロが監督?)という話があるようだが、原作者の死はそれにどういう影響を与えるだろうか。

グループウェア、ダメ!

先日取り上げた jwz の文章を、レッシグブログ翻訳でおなじみの ittousai さんが翻訳されている。こないだ紹介したときは指摘し忘れていたが、

「このソフトは、ユーザがやれる相手を見つけるのにどう役立つか?」これこそ、ソーシャル・ソフトウェアの開発者全員が意識すべきことだ(そして最近のソフトはほとんど全部ソーシャル・ソフトウェアだ)。

というのは重要なポイントである。jwz が「ソーシャル・ソフトウェア」という言葉を使ったのにちょっと驚いた。

人を幸せにするいろんなことをもっと簡単にするのが「ソーシャル・ソフトウェア」だ : 人と会うこと、交流すること、付き合うこと。

彼が挙げる三つは必ずしも人を幸せにはしないが、これをしないことには何も始まらないのも確かである。

Wiki病という新種の病?

Radium Software Development のエントリで、Wikiphilia - The New Illness という文章を知る。

Wiki というシステムそのものに対する批評と言うよりかは, Wiki コミュニティに対する批判の方が比重が重くなっている」とのことだが、Ward Cunningham のオリジナル Wiki に列挙される Wiki が機能する理由一つ一つについて粉砕していき、最後には Wikipedia についてもハンマーを振り下しているのだから、これは相当に耳に痛い指摘には違いない。

Wiki に向き不向きがあるというのは当たり前の話で、ワタシにしても例えば「Wiki は何に適しているのだろう」「Wiki と2ちゃんねる」といった『Wiki Way』ショートエッセイで何度か取り上げている。そうした意味で、例えば会話ページの導入というのは、向き不向きに対する対策の一つである。

そのように個々の Wiki エンジンはそれぞれ先に進んでいるわけで、本質論はともかくとして「Wiki」として総称されるシステムの意味が、オリジナル Wiki と乖離するというところもあるだろう。

実際件の文章についても、「c2.com で Wiki を判断するのは、C++バージョン1で OOP を判断するようなもの」という反論コメントが真っ先についている。その投稿者がモダンな Wiki が持つ機能として挙げるのは以下の五つ。

  • ページの階層化やグループ分け機能
  • 印刷用ページ出力機能
  • ページの閲覧、編集、変更のパーミッション
  • コメントのみ許可するよう変更を制限する機能
  • 変更のトラッキング

最後ので思い出したのだが、Dan Gillmor『We The Media』における Wiki の説明のところで、履歴管理機能を Wiki が当然持っている機能のように書いており、読んでておいおいと思ったが、モダーンな Wiki には入っている機能、という認識が広く受け入れられているということかいな。

Weblog + Wikiで自分ポータルを育てよう

というわけで、何でも Wiki、もしくはなんでもブログというように一つのツールにこだわる必要はまったくないわけである。

「blogとWikiは個人サイト構築の両輪」とはただただしさんの名言であるが、このように同じ意見にたどり着きながら、多様な試みが行われていけばそれでよいのだと思う。

考えるヒントで読み解く!

どうして自分の文章をわざわざ取り上げるのかというと、essa さんの「と金ブロガーの迂闊な免疫系」に取り上げられているからというのもあるが、何より一年以上前にポール・グラハム論法先取りしていたというのが判明したため(笑)。

そういえば最新号の「すばる」の特集は「没後五十年 挑発する坂口安吾」で、町田康山城むつみの対談「安吾の戦争」の前半で安吾小林秀雄の対比の話があって面白かった。

安吾が死んで半世紀か。青空文庫にはいつ入るのだろう。

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