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僕らのミライへ逆回転

やっぱりこの邦題はイヤだが、それはともかく評判も良かったのでかなり期待パンパンで観に行った。

しかし、最初どうも映画に乗り切れずにどうしたことかと思った。主演のジャック・ブラック『スクール・オブ・ロック』など好きなのだが、どうも彼の演技が過剰に感じられた。

あとこの映画で Sweding(Sweded)という言葉が生まれたが、ミシェル・ゴンドリーなのだからあっと驚くような手作り映画の見せ方をしてくれるものと期待値があがりすぎていたようだ。

ただ中盤以降、事前に予想していたのと少し違った展開に転びだすとぐーっと引き込まれていった。

本作で批判されるのは創造衝動が失われリメイクばかりの映画産業であり、権利保護の名の下に創造衝動を抑圧する権利者団体である。シガニー・ウィーバーが「私たち悪者ね」と呟くシーンがあるが、そうした連中の嫌らしい語り口まで本作は簡潔に表現している(「私にだって家族がいるの」「俺にはいない。それに何の関係がある?」)。

最後になって冒頭に流れるファッツ・ウォーラーのドキュメンタリー、そして失われゆくアナログな地域コミュニティという本作の裏テーマがつながってくるわけだが、そこからはエンドクレジットで流れる曲(これがすごくいいんだ)までまったく身動きができなかった。まさかジャック・ブラックの映画で涙を流す日が来るなんて思わなかった。

試写を行なうビデオ店を出たら……のラストに「あの映画」を連想した人は多いだろう。あれに限らず「映画についての映画」に名作とされるものが多い。本作をその一つに入れてよいかというと正直ワタシには分からない。ワタシは最近の映画の長尺化に反対な人間なのだが、本作は少し端折りすぎというかもっと時間をかけたほうがよいところがあったと思うし、そのせいか台詞でちょっと意味が取れないものがいくつかあったのが気になった。もっとも台詞に関してはワタシの頭の問題かもしれず、またこのコンパクトな作りは特に後半を長くやるとどうしても臭い話になってしまうのをゴンドリーが分かっていたからかもしれないが。

この映画の公式 YouTube チャンネルに、ミシェル・ゴンドリー自身がこの映画を Sweded した(!)ビデオがあったのではっておく。

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