10月8日に開催される技術書オンリーイベント「技術書典5」において、達人出版会ブースにて、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の特別版を販売すること、そしてそれに新作技術コラム「インターネット、プラットフォーマー、政府、 ネット原住民」を収録することは昨日書いた。
その「インターネット、プラットフォーマー、政府、 ネット原住民」だが、このケッタイなタイトルは、映画『裏切りのサーカス』の原作であるジョン・ル・カレ『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』のもじりである……って、どこがや!
なかなかタイトルが決まらず難儀し、高橋征義さんが「プラットフォーマー・政府・ネット原住民 地球最大の決戦」というタイトルを提案したのはここだけのヒミツである。
さて、今回の文章を書くきっかけとなったのは、今年の8月に某社の編集者より『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』を基にした書籍の執筆について打診されたことだったりする。
正直、ワタシはそのプランに懐疑的だったのだが、編集者とやりとりをするうちにワタシも徐々に乗り気になり、だったらこの2年間のフォローアップとなる新作文章を書かなければならないな、と実に2年ぶりに技術コラムを書く気になったのである。
昨年『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の電子書籍化の作業をしながら、そうした文章を書く気にはまったくなれなくて、書いたのはボーナストラック「グッドバイ・ルック」だけだった。
それはともかく、ワタシが久方ぶりにやる気になったのに、その直後からくだんの編集者からのメールがぱったりなくなった。まぁ、正直企画会議を通るとは思わなかったので別にいいのだけど、ダメならダメでその旨をメールで伝えるくらいしてもいいのではないか。
この編集者が属する出版社については、武士の情けで名前は特に秘すが、翔泳社である。
さて、せっかく2年ぶりに技術コラムを書く気になっていたのに、それを発表する場がなくなって困っていたところ、達人出版会の高橋征義さんから声をかけていただき、「技術書典5」で販売される特別版に収録することになったという次第である。
しかし、高橋さんもこんな常軌を逸した長さの文章を送りつけられるとは思ってなかったのではないか。一年前に原稿用紙換算で150枚超の「グッドバイ・ルック」をいきなり送りつけられたときほどではないにしろ、ため息の一つでもつかせてしまったかもしれない。
それくらい長くなったのは、何よりこの2年間を埋めるためというのが一番で、とにかく書きたい話はすべて詰め込んだ結果である……のだけど、それでも書き残した話に後になって気付くのだから困ったものである。
一つは「監視資本主義(surveillance capitalism)」というタームについて入れるつもりだったのに入れ損ねた。この言葉については以前にも触れたことがあるが、この言葉の発明者であるハーバードビジネススクールの元教授 Shoshana Zuboff のこの言葉を書名にした本が出ることについて触れるべきだった。
The Age of Surveillance Capitalism: The Fight for a Human Future at the New Frontier of Power
- 作者: Shoshana Zuboff
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もう一つは GDPR について、ニコラス・カーの「EU は GDPR で Google や Facebook に縛りたいのだろうが、これに本格的に対応する人的リソースを持つ Google や Facebook の監視資本主義の強化にしかつながらないだろうよ。残念!」という見立てを入れ込むのを忘れていた。
あと、この文章は冒頭で知的財産戦略本部の検討会議について書いているが、中間とりまとめができず延長になったのはご存知の通りだが、それより前に脱稿したので、話がその前までとなっている。またそれと関連して、中国のようなネット監視についても触れているが、Google のエリック・シュミット元 CEO が「今後は中国とそれ以外の2つのインターネットが存在するようになる」と語った話も入れきれなかった。
あと decentralized なウェブを目指す動きとして、ちょうどティム・バーナーズ=リーが手がける Solid がニュースになっているが、これも前から知っていたのに入れきれなかった。
それでもとにかく長い文章になってしまったのだけど、「インターネット、プラットフォーマー、政府、 ネット原住民」で書いたことと似たことを、ワタシと同い年の中川淳一郎さんが「ブログやSNSは“ネットの空気”をどう変えたのか? 平成最後の夏、「ネット老人会」中川淳一郎が振り返る」で書いている(実は先月、とある追悼会で中川さんをお見かけしているが、ワタシのことなんか知らんだろうな、と弱気になってしまい声をかけられなかった)。
そうなのだ、本稿冒頭で「インターネット老人会」と述べたが、ネットを特別視すること自体がオッサン・オバサンの表れなのかもしれない。若者はもはやインターネットもリアルも同じものと捉え、水道や電気、ガスと同様の扱いをしもはやネットに夢は求めていない。
ブログやSNSは“ネットの空気”をどう変えたのか? 平成最後の夏、「ネット老人会」中川淳一郎が振り返る (3/3) - ねとらぼ
それでは「技術書典5」にお越しの方は、どうか達人出版会ブースで『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』特別版をよろしくお願いします。