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イエスタデイ

本当は他にもっと観たい映画があったのだが、金曜夜のレイトショーでやってる映画となると、本作くらいしか観たいのがなかった。

ダニー・ボイルの新作、しかも脚本を書いているのがリチャード・カーティスなのだけど、どうも気持ち的にひっかかりがあったのは、「ビートルズ(の音楽)を主人公以外誰も知らない世界」という本作の設定に危惧を感じたからだ。

言うまでもなくワタシにとってもビートルズは大きな存在であり、『僕はビートルズ』のようなひどく無神経という評判の作品だったらどうしようという恐れが何より大きかった(正確に書くと、『僕はビートルズ』は設定だけ聞いて、一切読んでない)。

本作はそういう作品ではなくホッとした。リチャード・カーティスの脚本では『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』がそうであるように、本作の基盤をなす設定の謎を解くような作品ではない。

世界でビートルズの楽曲を知る人間が売れないミュージシャンの自分しかいないとなれば(実は違うのだが)、彼がやることはひとつだろう。しかし、それをやってしまうと当然罪悪感から逃れることはできない。一方で、主人公は失われてしまった人類の文化遺産を遺す役割すら担ってしまう。本作はリチャード・カーティスらしいロマンティックコメディだけど、一種のホラー映画としての側面もある。

まぁ、ワタシは主人公ほど善人ではないので、自分だったらビートルズの200曲以上ある曲を小出しにしながら、ついでに存在しないことになっているオアシスのファースト、セカンドの曲で何年も食いつなげるぜ! と思ってしまうのだけど(笑)。

あの名曲のメロディーは記憶にやきついており問題ないが、歌詞をなかなか思い出せず苦労するとか、そうやって思い出したつもりでもあの曲の歌詞はやはりデタラメだったとか、それダサいよ/珍奇だよと歌詞やアルバムタイトルにダメ出しをくらうとかの小ネタにも納得性があるが、そういえば本作では、ビートルズだけではなく、コカ・コーラなどいくつかのアイコンも存在しない設定になっていて、はっきり言ってやりすぎなのだけど、例えばそういう世界で「コークお願い」と言うことで引き起こす反応には笑った。

本作は設定を聞いて分かる通りの展開を辿り、そして無神経でも不愉快でもない着地点を得る。そうした意味で観る前から分かり切った映画ともいえるし、辛辣に言えばヌルいところは否めない。それでもビートルズの音楽が「新曲」として生まれ、演奏される新鮮さを体感させてくれることに本作の価値はあるのだろう。唐突な比較だが、『シン・ゴジラ』ゴジラが存在しない世界でゴジラを創造したように。本作をダニー・ボイルが撮る必然性はそこにある。

ワタシは本作のヒロインがいかにも英国的な佇まいで好きだったが、『ベイビー・ドライバー』のヒロインだった人か。

エド・シーランがいっちゃなんだがかませ犬的キャラクターをよくやってるなと思うが、そういうところに彼の健全なユーモアセンスを感じた。あと、「パルプの「コモン・ピープル」は2位だったけど――」という台詞、アメリカ人はほとんど理解できないと思うが、個人的にグッときた。

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