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氷室京介がポッドキャストで『デジタル音楽の行方』に言及!

デジタル音楽の行方

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id:daemons さんより氷室京介『デジタル音楽の行方』が言及されているというタレコミがあり、半信半疑で聞いてみたら本当でビックリした!

彼のポッドキャスト第五回目(リンク先音声ファイル)の11分30秒あたりから5分以上に渡り、『デジタル音楽の行方』について「すごく面白い本」と語ってくださっている。

しかも自身の iTunes Store への働きかけで実現したライブ音源配信の話につながるというのが素晴らしい。

表紙にコメントをくださった佐野元春さんといい氷室京介さんといい、まともにロックを聴くようになった頃から現在まで一線で活躍している方々に、翻訳とはいえ自分の仕事にコメントをいただける日が来るなんて思わなかった……

スティーブ・ジョブズの「DRM不要論」と『デジタル音楽の行方』

先週はスティーブ・ジョブズThoughts on Music日本語仮訳)が大変話題になった。

DRM の無駄さを痛烈に訴えるこの文章をもって「ジョブズは音楽ファンのことを第一に考えている!」と単純に盛り上がるのは DVD ヨンの反論などを引き合いに出すまでもなく間違いで、飽くまで欧州対策を中心とした一種のポジショントークと見るのが妥当だろう。

とはいえ、音楽 DRM に関してジョブズビル・ゲイツというパソコン世代の巨人二人の意見が大体一致しているというのは興味深い。『デジタル音楽の行方』訳者のワタシとしては、「ほらな、あれに書いてある通りだろ?」としつこく書きたくなるが、別に本を引き合いに出さなくても少しでも考えれば分かる話である。

……ということが、「“DRM不要論”は一種の牽制?――ジョブズ発言の真意を探る」で記事でうまくまとめられている。それに『デジタル音楽の行方』も取り上げられている。津田さん、ありがとう! みんな、ナタリー使おうぜ!

デジタル音楽の行方

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ロージナ茶会の茶会ブックリストに『デジタル音楽の行方』が入っていた

半可思惟経由で知ったのだが、危険思想結社(ウソ)ロージナ茶会茶会ブックリスト『デジタル音楽の行方』が入っていた。光栄である。

デジタル音楽の行方

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あと『デジタル音楽の行方』というと、旧聞に属するが今年はじめに R25 のブックレビューでも取り上げられていた。

『デジタル音楽の行方』への反応 その45(たぶん最終回)

デジタル音楽の行方

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『デジタル音楽の行方』刊行から一年が経っており、販促目的のレビュー紹介も今年末をもって終わりにしようかと思うが、面白いレビューがあれば懲りずに取り上げるかもね!

さて、最後に紹介するのはソーシャル・ネットワーキングサイト mixi におけるレビューである。招待制 SNS 内のページをリンクするのはどうかとも思うが、mixi ぐらいメジャーなら許してもらえるだろう。

これを書いている時点でレビュー数は19件、満足度平均は4.05点(5点満点)ということで、これだけ数が揃うと Amazon あたりと大体同じ感じになるようだ。

訳者として嬉しいのは、現在までずっと着実にレビュー数が増えていることである。『デジタル音楽の行方』もカルトクラシックと呼べるのかも、と訳者バカにも考えたりする。

カルトクラシックとは何か。いろいろ言うことはできるが、突き詰めれば「売れなかった本」なのだろう。

『デジタル音楽の行方』への反応 その44、そして刊行から一年経ち…

デジタル音楽の行方

デジタル音楽の行方

気がつくと『デジタル音楽の行方』刊行から一年が経っていた。書籍の寿命が短くなる一方だが、最近でもこの本を紹介してくれるブログをいくつかも見つける。訳者としてただひたすら嬉しく思う。

今、音楽業界は『デジタル音楽の行方』に書かれた通りに動きつつある……と強弁するつもりはさすがにないが、この本に書かれたヴィジョンに向かって進む動きが多いぐらいは自信を持って言える。

「訳者あとがき」で具体例として挙げたタワーレコードは、「水道の蛇口のように音楽を」という本書で掲げる「水のような音楽」に呼応する宣伝文句でナップスタージャパンとしてデジタル音楽配信を始めており、その主張は夢想レベルではなくなっている

マイクロソフトZune で携帯音楽デバイス分野に本格参入し、iPod と競争できるレベルになれば、本書に未来のデバイスとして描かれる「ユニバーサルモバイルデバイス」への道に向かうだろう。

そして『デジタル音楽の行方』において「デジタル貞操帯」と揶揄された DRM については次のエントリの通り。

Peter Jennerは「音楽税」とは言っていないし、その主張は別にバカげてはいないのではないか

The Register における Peter Jennerインタビューを知ったのは digg だったか Slashdot だったか、これは取り上げようと思いながら時期を逸してしまっていた。

……と思ったら TechCrunch でボロクソに書かれていてチャンスができた。ありがとう。

件のインタビューを読んだ最初の感想は、最近では Lessig Blog でも忌々しげに名前が挙がっていた Andrew Orlowski って Wikipedia 叩きじゃない普通のインタビューもやるんだなということなのだが(笑)、それはともかくワタシは Peter Jenner の話はそんなにバカげてはないと思うのだが。

メジャーレーベルは音楽産業の現実を見失っている、iTunes などの曲単位でちまちま売っててもダメだ、ましてや DRM なんて論外、もっと薄く広くお金を取って資金プールを作らな……これって『デジタル音楽の行方』における「水のような音楽」モデルにとても近いのですな。

それにさ、Peter Jenner は「音楽税(Music Tax)」なんて言ってないんじゃん(日本版は引用部の訳文に勝手に「税」と補ってる)。「税金」と書くといきなり印象が悪くなってしまうし、インタビューでは(BBC のような)テレビ料金よりも安価でよりフェアにって言ってるじゃない。

Peter Jenner にしても別にレコード会社を救えと言いたいわけじゃない(と思う。ワタシが読み落としているトンチキな発言があるのかもしれんが)。「イノベーションへの意欲は無くなる」こともあるまい。共産主義じゃあるまいし、人気のあるミュージシャンはより多くの取り分が与えられるだろうに。

ここで『デジタル音楽の行方』の訳者あとがきを引用する。これは Peter Jenner の議論にもある程度あてはまる話だと思う。

 本書の原書はiPodの画面を模した表紙デザインになっており、iPod世代のマニフェストとも言えるが、本書のすごいところは、現在デジタル音楽配信サービスを主導するアップルの戦略のさらに先を論じていることである。それが本書で何度も登場する「水のような音楽」モデルである。レコード産業の死が音楽産業の死ではないと冷徹に語りながら、音楽ファンとして闇雲に自由を求めるだけでなくテリー・フィッシャーの『Promises to Keep』を援用して音楽産業に対する代替補償システムの経済合理性を論じ、また必要に応じた行政の介入の必要性を説く議論は本書の白眉と言える。(273ページ)

現在 YouTubeMySpace が直面している問題がまさにそうだが、それなりの規模になれば、後は代替補償システムや強制ライセンスにより「取り分」の落としどころをどうするかが重要であり、企業の論理だけで解決できなければ(例えば過去ケーブルテレビがそうであったように)議会や政府が介入するというのは別におかしな話ではない。

ただこの議論を日本に当てはめると、資金の共有プールの管理は J で始まる例の団体が第一候補となるし、あそこは透明性とはほど遠いところでもあるので、音楽ファンにはとても受け入れられないというのも確かだが。

もっといろんな論点を整理すべきなのだけど、疲れちゃったのでここまでにしておく。TechCrunch にも「本件については、また取り上げる予定」とあるので、またここで取り上げる機会もあるだろう。

『デジタル音楽の行方』への反応 その43

デジタル音楽の行方

デジタル音楽の行方

久方ぶりに『デジタル音楽の行方』への反応である。刊行から一年になるまで続けられそうでよかった。

今回は「むらやまんの日記」の "Less Than Jake"と"The future of music" より。

先週から読みふけってます。かなり示唆に富んでて面白いのです・・が!!何でかしらないけど読むのに時間がかかる・・・。訳本だからしょうがないのかもしれないんだけど、一文一文が長い!一回読んで、え?どういうこと?ってまた読んで・・・って繰り返してると全然読むスピードがあがらない。

読みにくいとしたら、それは訳者の責任が大きいのだろう。長すぎる文章は適度に切るように心がけたつもりだが、そう感じられたのなら申し訳ない。

「明らかな誤用」認定されている"ubiquitous society"という表現は『デジタル音楽の行方』に登場する

「ユビキタス社会」という言葉は誤用と中島聡さんは断言する。その通りなのだろう。現時点では。

そういえば以前にも、ユビキタス(ubiquitous)という単語を重用するのは日本人だけ、みたいな内容の日本人の文章を読んだことがあったっけ。

『デジタル音楽の行方』を訳していて面白かったのは、この ubiquitous という単語が結構出てくること。今 grep をかけてみたら、全部で17箇所あった。代表的な例を第一章から引用する(強調は引用者。以下、同じ)。

This, we believe, is a possible scenario from the future of music--a future in which music will be like water: ubiquitous and free flowing. Our views are not definitive, precise, or all-inclusive, but simply are snapshots of the future. In this future, music will be ubiquitous, mobile, shareable, and as pervasive and diverse as the human cultures that create it.

ここは『デジタル音楽の行方』の「水のような音楽」というヴィジョンを語る重要な箇所だが、そこで ubiquitous という単語が欠かせざるピースとして使われている。

そして、だ。中島聡さんが誤用と断言する "ubiquitous society" という表現も『デジタル音楽の行方』の第8章に登場するんだよね。

Radio enabled new music to be broadcast and heard all around the globe, and played a major part in creating a more musically ubiquitous society. A much larger audience. Ubiquitous media. Omnipresent music--and more money for all involved.

注意しなければならないのは、飽くまで "musically ubiquitous society"、つまり「音楽が遍在する社会」で一連なりで、中島聡さんの論旨に反するものではない。

しかし、どうしてかな。ワタシは中島聡さんの件のエントリを読んで楽しくなかった。少なくともワタシは、「アチャー、指摘するのが遅すぎたのかも知れない」と上から見下ろして苦笑いな人よりも、恥をかいてでも母国語以外の言葉で自分達の研究、技術を伝えようとする研究者、技術者に敬意を払いたい。

それに言葉ってそんな固定的なものですかね? 「ユビキタス社会」と、例えば「Web 2.0」のどこが違うんですかね? 「Web 2.0 って何?」と聞かれて、(禅問答のような答えでなく)自信をもって定義を言える人がどれだけいる? 根があやふやなままで使われているという意味で五十歩百歩ではないか? しかも少し条件を加えれば、十分アリな表現なのに(英語にしろ日本語にしろ)。

それにどうして中島さんは、日本人研究者、技術者の使う "ubiquitous society" がそれこそ「Web 2.0」のように受容される未来を想像しないのだろうか。「Web 2.0」という言葉をバシッと定義できなくても、ブログがあり Wiki があり、それら CGM をつなぐ RSS があり……と我々が緩い合意の上で語るように、英語圏の人に「ubiquitous society ってヘンな言い方だけど、要は○○をみんなが使って、×××システムに△△△が組み合わさった生活を言うんだろ?」と受容される、つまり "ubiquitous society" という言葉を使う人たちが生み出す技術や製品により世界が変化し、それに伴い "ubiquitous society" という言葉の意味合いも変わる可能性をどうして想像しないのだろう。

そんなことありえない? そうだろうか。我々には身近な例があるじゃない。コンピュータの世界には、元々は必ずしも良い意味ではない hack という単語を見事に転用してみせた先達がいるのだけど。

大半の日本人研究者、技術者は単に深い考えなしに誤用しているだけかもしれない。誤用と分かれば、これから英語で論文などを書く人達に啓蒙することは大事だろう。それに ubiquitous という単語に関し、実はワタシは人のことをとやかく言えない。

『デジタル音楽の行方』のサポートページを見た人なら知っていることだが、ワタシは ubiquitous という単語の訳を「遍在する」とすべきところをすべて「偏在する」に間違っている。それでは意味が反対だ!

しかし、赤面しながらサポートページに追記しながらも、一方でワタシは同じ読みで形も似た漢字なのに意味が反対になるなんて面白いなと思ってしまった。これはこじつけだとしても、日本語であれ英語であれ言葉は生き物であり、時間とともに変化する。日本語から言葉が一つ消された世界よりも、技術によりその言葉の意味が見事に変化してしまった世界をワタシは見たい。もちろんそこから大したものが生まれず、自然と忘れ去られるならそれはそれでよいが。

さて、『デジタル音楽の行方』で ubiquitous とくれば、上にも書いた「水のような音楽」というフレーズを浮かぶが、ナップスタージャパンがサービス発表会で使ったのは「水道の蛇口のように音楽を」で、一人盛り上がってしまったが、他に言及している人がなかったので、ワタクシが意地でも書いておく。

デジタル音楽の行方

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『デジタル音楽の行方』への反応 その42

デジタル音楽の行方

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『デジタル音楽の行方』への反応だが、「Rails で行こう! - Ruby on Rails を学ぶ」に書評をいただいた。

直感的には、私は本書の作者に全面的に賛成する。作者も僕と同様に直感派で、自分の熱い気持ちを抑えきれず、客観的データで裏づけするなんてまだるこしいことをやってられなかったのかもしれない。絶対に自分が正しいはず、という気持ちがつい先走ってしまった感があるのは残念。しかし、人々の心を煽るアジテーターとしては成功と言えるかもしれない。

もう少しデータや参考文献などの引用があればとのことで、確かにデータの出所はワタシも訳していて知りたいと思ったのは確かですな。少し違うが、『デジタル音楽の行方』で引用されるミュージシャンなどの発言については引用出典一覧をまとめていますのでご参考まで。

『デジタル音楽の行方』で読み解く!(タワーレコード倒産、PandoraはWeb 1.0的か)

前にもやったような気がするが気にするな! ちなみに今日の画像も Wikimedia Commons より。

先週はタワーレコードの倒産がニュースになったが、特に新聞報道など、それの原因が iPod音楽配信サービスにあるといった論調が多く、政治的意図を疑ったほどだ。

こないだの MOK Radio津田大介さんがこれについてきっちり語っていたが、それを聞きながら「おい、『デジタル音楽の行方』の名前を出してくれよ、金髪!」とシャウトしていたのはヒミツである。

冗談はともかく、えるみれに続いて中島聡さんが的確な分析を書かれている。特に後者を読めば十分なのだけど、悔しいので『デジタル音楽の行方』から引用させてもらう。

 ターゲット、ベスト・バイ、サーキット・シティ、そしてウォルマートといった量販店が全CDセールスの五〇パーセント以上を占めており、アメリカにおける音楽の小売販路のあり方をすっかり変えてしまった。比較的少ないタイトル数に絞って激しく値引きして(しばしば実際の卸売原価割れで)CDを売ることで、彼らは店舗に客寄せする「目玉商品」として、他のものを売るのに音楽を利用しているのだ。これらの小売業の巨人達は、現在アメリカの市場で最大のシェアを握るところまで達している。ウォルマートだけでアメリカで売られるすべての音楽のおよそ二〇パーセントを占めている。ウォルマートの大半の店舗には通常七五〇以下のタイトルしか置かれていないことを鑑みれば、これは驚くべき数字である。個人経営の小売店もタワー・レコードやヴァージン・メガストアなどの音楽専門チェーンもこのような値付けに太刀打ちできないのだ。(131ページ)

『デジタル音楽の行方』には、この数年で1200の音楽小売店が店を畳んだことをあわせ、この話が何度も登場する。実はワタシも mhatta ポッドキャストに参加したときにこの話をしている。AmazoniTMS といった(ロング)テール部分で勝負できるプレイヤーがないと、再販制度の廃止は音楽の多様性を狭めてしまう結果になりかねない。

続いて栗原潔のテクノロジー時評Ver2の「意外にもWeb 1.0的なPandora」だが、ちょうど Pandora についてはオライリーのサイトに Inside Pandora: Web Radio That Listens to You という記事が公開されていて、「アナリスト」が仕事する画像もあるし、人でなく機械に分析をまかせるアプローチについての CEO の回答も載っている。

『デジタル音楽の行方』でも Pandora の基となった Music Genome Project について触れているが、これが人海戦術になることをちゃんと見通していた。

 MusicGenomeなど一部の既存技術は、あなたがたくさんジャズを聞くからといって、レコメンデーションが全部ジャズの曲にならないように、普段聞いているジャンル以外の音楽作品もレコメンドできる。このようなアプリケーションの真の便利さは、巨大なコンテンツデータベースが開発でき、しかも「中身の濃い」カタログから、より正確で賢いマッチングが作られないと明らかにならない。誰か一千万曲の中身の濃いメタデータのインデックスを作り、点を結んで音楽データベースの全体像を作り上げるのに千人の音楽大学の学生を雇うだけの余裕ができるまで待たないといけない!(232-233ページ)

それを40人でやっているわけだからすごいとも言えるが、これはある意味 Amazon.com 本家の創業期に雇っていた専門レビュワーに通じると思う。

アル・ヤンコビック様のファイル共有賛歌「この曲をダウンロードするな」

Boing BoingSlashdot 本家でも取り上げられているが、"Weird Al" Yankovic 様がファイル共有賛歌 "Don't Download This Song" を公開している。

それにしてもこの人は根強い人気があるな。ワタシも好きだ。

まぁ、曲自体はどうってことないのだが(おいおい)、これを取り上げたのは、これと似たタイトルの別のファイル共有賛歌を思い出したからで、それは MC Lars"Download This Song"YoutTube)である。

この曲は MC Lars が Future Of Music という本の内容にインスパイアされたものなのだが、そう、これ『デジタル音楽の行方』の原著なんですね。

というわけで、『デジタル音楽の行方』をよろしく。

デジタル音楽の行方

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『デジタル音楽の行方』への反応 その41

デジタル音楽の行方

デジタル音楽の行方

『デジタル音楽の行方』への反応だが、「知らぬい」に本書への以下の懐疑点が挙げられている。

  1. 「水のような音楽」モデルが成立するほど音楽は不可欠なものなのか
  2. 強制ライセンスで集められた資金プールを管理する著作権管理団体の透明性
  3. P2P ファイル共有から料金が徴収できるようなシステムで利用されるのは、本書で否定的な DRM ではないのか

どれも鋭いポイントで、日本だと特に二番目が危ういわけだが、三番目は特に鋭いと思う。実際著者達は、デジタルになればどの曲が何回かかったか正確に把握できるようになるといったことを書いているし。著者達に確かめたわけでないので推測だが、著者達が反対しているのはユーザにとって音楽の可搬性の妨げとなる技術に反対だが、紐付けというか正確な利用状況把握に限るならオッケーなのではないか。しかし、DRM と書いてしまうとデバイス間の転送がどうこうという話になるので否定的な立場をとっている、とワタシは解釈している。

『デジタル音楽の行方』への反応 その40

40回目に達した『デジタル音楽の行方』への反応紹介だが、今回はほぅニュースより。

 月並みなまとめ方にはなりますが、インターネット等の技術を介して、音楽の流通や利用形態が、有形から無形、固定から移動(携帯)、間接から直接へとシフトしており、それに対応することの必要性・重要性が強く主張されているように感じられました。

そしてその先にあるのがこの本で語られる「水のような音楽」モデルなわけだが、TechCrunch に公開された「Amie Streetの新楽曲販売モデルは最高だ」を読んでもその方向に進んでいる現実を感じる。

最近の音楽業界では、大手レーベルがDRMフリーの音楽販売に向け順調に進んでいることを示唆するニュースが続いている。この前進/進化は避けられないものだし、その後はゼロに近いところまで価格が下がり、いずれはサービスもレベル(簡単&高速なダウンロード、ミュージックビデオやアルバムのアートワークを込みにする、など)に応じ販売するようなかたちに収まるが、それ以外は特筆すべきことは起こらない、というのが私の考えだ。

その避けられない前進にすら目を背ける日本の音楽産業は……といった話はもうしたくないんだけど……

『デジタル音楽の行方』への反応 その39

デジタル音楽の行方

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arton さんの日記における白田秀彰さんの新刊『インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門』についての記述に、

P.193でいきなり『デジタル音楽の行方』が引き合いに出るところもちょっと唐突な感じ。

と『デジタル音楽の行方』の名前が出てきてびっくり。『インターネットの法と慣習』は編集者より献本いただき今まさに一生懸命読んでいる本なのだが、慌てて調べてみたらこのページは編集者の上林さんが付箋をしてくださっていた。

もちろんワタシも気になってはいたが、ざっと見て気付かなかったのだ。幹部候補生というウワサの上林さんのお心遣いにこの場を借りて感謝したい。そしてもちろん書名に出してくださった白田秀彰先生にも。

再度の愚痴になるが、デジタル音楽関係の以下のような記事を読むたび、オイラは「ほら、この本に書いてあっただろ?」と思ってしまうのだよね。

今週末は津田さんの「YouTubeコラムをNIKKEI NETに寄稿して思ったことなど」を読んで、アメリカにおける RIAA の訴訟についての『デジタル音楽の行方』の記述を思い出した。ミュージシャンにももちろん RIAA の訴訟を支持している人たちはいるが、そうでない一次クリエイターも多い。例えば Disturbed のデヴィッド・ドレイマンははっきり言っている。

アーティストからしてみれば、失せろってなもんだ。俺は奴らに守ってくれと頼んだ覚えはないし、奴らの保護なんか欲しくない(143ページ)

Pew Internet Project の2004年の調査によれば、調査を行なったミュージシャン/ソングライターの60%がRIAAの訴訟は自分達の利益になると思っていない。また、無料ダウンロードの影響について、ミュージシャンの37%はあまり影響がない、35%はむしろキャリアの助けになっていると回答している(『デジタル音楽の行方』144ページより)。

『デジタル音楽の行方』への反応 その38

刊行から半年以上経って『デジタル音楽の行方』への反応が読めるのはありがたい話である。今回はデジタル音楽書評・レビューのエントリから引用。

おもしろかったのは、ウェブを活用すれば、アーティスト自身が独自の方法で音楽を流通出来る仕組みが整いつつあるなど、アーティストにスポットがあたっている所。そして「ウェブの進化」と「デジタル音楽」との関係性です。

そういえば、津田大介さんによる「デジタル音楽勉強会」の第4回目の募集が始まっていますね。デジタル音楽配信の話では、/. 本家にあったオンライン音楽は古い音楽に新しい命をふきこむという話が面白かった。

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