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名著『アラン・ケイ』とそれに携わった人たちについて

今回の「パソコンの父が再臨するとき」では、いくつも彼の言葉、文章を部分引用しているが、「未熟だね。レベルがあまりに低い」というウェブへの評価がインタビューから採られたのを除けば、彼の論文と評伝からなる『アラン・ケイ』からの引用である。

アラン・ケイ (Ascii books)

アラン・ケイ (Ascii books)

今回の原稿を機にこの本を読み直して、改めて名著だと思うとともに、この本に欠けているものにも気付いた。それは「パソコンの父が再臨するとき」を読んでいただくとして、今では一般にも使われるようになった「コンピュータ・リテラシー」(『アラン・ケイ』ではリタラシーと表記されている)という言葉に関するケイの非常に慎重な筆致を辿ったとき、この文章の方向性が定まった。

アラン・ケイ』は原書がない日本オリジナルの企画であり、それゆえに刊行までは大変な苦労があったことが「訳者あとがき」に綴られている。そしてその訳者の鶴岡雄二氏は、かの「モータウン・ミステリー」の著者である。また「訳者あとがき」には青空文庫創始者である富田倫生氏の名前も挙がる。そして最後の「謝辞」に金光雅夫氏の名前を見つけて感慨にふけった。

『銀河ヒッチハイクガイド』のダグラス・アダムスがウェブ誕生の一年前に制作したハイパーテキストのドキュメンタリー番組

これは面白い。

昨年映画化(asin:B000CS46YQ)された『銀河ヒッチハイク・ガイド』(asin:4309462553)の著者として知られる故ダグラス・アダムスが、Tom Baker とともに Hyperland というハイパーテキストについてのドキュメンタリー番組を作っていた。BBC は偉大だ。

注意すべきは、この時点でワールド・ワイド・ウェブは生まれていないこと。当時 Tim Berners-Lee は CERN でそれを何とか実現しようと動き回っていたわけで、だからこの番組ではテッド・ネルソンの Xanadu や MIT メディアラボなどを取り上げている。

アラン・ケイ』を読んだときも思ったのだが、Vannevar Bush の論文 "As We May Think"(われわれが思考するごとく)の偉大さである。この番組でもテッド・ネルソンが Vannevar Bush を語る貴重な映像が見れるが、ダグラス・エンゲルバートからアラン・ケイにいたる流れ、テッド・ネルソンからティム・バーナーズ=リーにいたる流れ、そしてビル・アトキンソンHyperCard)からワード・カニンガム(Wiki)にいたる流れ、いずれも "As We May Think" に源流があるといっても過言ではないだろう。多分。

9/11:ブログの誕生

9.11の話題は食傷だろうが、あの日ブログが果たした役割について記した記事が Wired にあったのでご紹介。9.11 に関するブログプロジェクトのリンク集にもなっている。

レベッカ・ブラッドは『ウェブログ・ハンドブック』(asin:483991107X)において、あの日のことを重要な出来事として扱っているが、あまり大げさにブログを持ち上げる見方には懐疑的で、そうした意味で「ブログの誕生」というタイトルは微妙だが、この記事でもあの当時(現在の目で見て)使いやすいブログツールが少なかったことをちゃんと書いていて、そうしたディテールの記述に感心した。

日本には、あのときブロガーはトラックバックで連帯したとかとんでもないことを書く人がいたからね(当時トラックバックという機能は存在していない)。

"We had this explosion of personal, public testimony and some of it was quite powerful," Gillmor said. "I remembered that old cliche that journalists write the first rough draft of history. Well now bloggers were writing the first draft."

と、ダン・ギルモアはブロガーが「歴史の初稿」を書いたと語っている。この意識がポイントなのだろう。

ただ記事の最後に引用されてる同じくダン・ギルモアの言葉はいささか不謹慎というか、やはりアメリカ人だねぇと思った。

ジミー・ウェールズがWikipediaへの中国政府の検閲を拒否

Boing BoingSlashdot 本家でも取り上げられているが、Jimmy WalesWikipedia 中国版に関して、中国政府の検閲の拒否を表明している。

自由な知識には自由なソフトウェアと自由なファイル形式が必要と自由を連呼してみせる彼だから当然とも言えるが、彼はアムネスティが立ち上げた Irrepressible.info という言論の自由を訴えるキャンペーンを支持しているみたい。

それは「友愛」の誤訳から始まったのではないか

Spiegel さんの「mixi は結社的公共空間?」の本題でないところに反応。

で,気になったのは「公共性」と「友愛」というキーワード。そういえばどっかで博愛・友愛・同胞愛は基本的に同じものだと聞いたことがある。つまり「愛」の及ぶ範囲が有限であるということだ。神のごとき無限の愛など人は到底望むべくもない,と。

「基本的に同じもの」なわけはないでしょう(笑)。いや、その後に書いていることは分かる。これに関しては、フランス革命の標語の訳に問題の根源があるというのがワタシの説である。呉智英の「民主主義こそ疑え」から引用する。

 そもそも、この人たちが民主主義と共産主義を対立物のように思っているのが奇妙だ。民主主義の要件を簡単に言い表わせば、フランス革命時の「自由・平等・同胞愛」の標語になるだろう。このうちの同胞愛fraterniteは、日本語では意図的になのか、"博愛"と訳されているが、もちろん誤訳である。

呉智英は「歴史にこだわる」では「自由・平等・友愛(フラテルニテ)」と表記しているが、考えてみればここで「博愛」を要求すること自体おかしい、というか言葉のレベルが違う。個人的にはこれらの文章を読んで以来、「自由・平等・博愛」と無自覚に書いている人の文章は注意するようになった。

上に挙げた呉智英の文章は、いずれも『サルの正義』に収録されている。

サルの正義 (双葉文庫)

サルの正義 (双葉文庫)

仲俣暁生さんは、「自由、平等、友愛」と言われてますね。

異色ホラー映画『ファンタズム』のDVDは出ないのだろうか

町山智浩さんの日記でドン・コスカレリの名前を見つけて、おおっと身を乗り出した。

彼の『ファンタズム』は、思春期の少年の不安を具現化したようなイマジネーション豊かな異色のホラー映画で、大好きなのだ。

しかし、これの DVD の日本盤が出ていないんだよな。悲しいな。

なお、『ファンタズム』は第四作目まで続編が作られているが、ワタシはどれも観ていない。岸田裁月さんの文章を読むと、まぁ、わざわざ観るまでもないかなと思う(笑)

果たして『ファンタズム』シリーズは完結するのだろうか。

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