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『フロスト×ニクソン』 〜 成功に執着した二人を分けたもの

フロスト×ニクソン [DVD]

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モンティ・パイソンに「ティミー・ウィリアムスのコーヒータイム」というスケッチがある。エリック・アイドルが演じる、愛想は良いがひたすら自己中心的で軽薄で自己宣伝にしか興味がない業界人ティミー・ウィリアムスのモデルは、本作の主人公デヴィッド・フロストである。

フロストはそのアイドル、グレアム・チャップマンジョン・クリーズといったケンブリッジ派の先輩筋にあたり、実際若き彼らを自分の番組で起用しているが、その後輩達がモンティ・パイソンとしてイケるとみるや、フロストはクリーズに電話をかけ、「今から僕もパイソンズに加わりたいんだけど、もちろんOKだよね?」と擦り寄ったという。それに対してクリーズは "No! Piss off!" と言い放ったそうだ(出典:モンティ・パイソン大全 (映画秘宝コレクション))。

自分を取り立ててくれた先輩に対して断固とした態度をとったクリーズ先生は偉いが、「出世の手段にコメディを利用した人」と評価されるフロストという人をよく表したエピソードである。

これだけ書くとただただイヤな奴だし、本作においても機内でナンパした女性に「大した才能もないのに有名人」という評言を言い放たれているが、本当にそれだけだったら成功を掴むわけはない。何より彼には人を惹きつける陽性の才能と、臆面もなく成功に執着する愚かさがあった。

本作のもう一人の主人公は言うまでもなくリチャード・ニクソンだが、本作ではフランク・ランジェラが、任期中に辞職するという屈辱を味わいながら権力と金への執着を失ってない老獪な政治家役を魅力的に(!)演じていて素晴らしかった。

本作を見て感じるのは、アメリカ大統領のステータスである。ニクソンを糾弾する本を四冊書いたフロスト側のスタッフが、憎き敵を目の前にして、半ば呆然としながら「ミスター・プレジデント」と握手をしてしまう場面がある。ウォーターゲート事件の位置づけもそうだが、一生「大統領」と呼ばれるアメリカ大統領の象徴性が分かってないと本作は面白く感じられないかもしれない。

アメリカでの成功を熱望するフロストは、政治的な使命感など何も持たないままニクソンにインタビューをオファーする。それが汚名を晴らし中央政界への復帰を果たしたいニクソンと利害が一致してインタビューが実現するわけだが、アメリカでの実績がないフロストのインタビューは買い手もスポンサーもつかず、私財を投げ打つこととなる。このインタビューでニクソンを謝罪に追い込めるかは、レストランで VIP 席にありつける云々のレベルでなく、フロストのキャリアそのものがかかっていた。

そうした二人それぞれの追い込まれた事情があるから盛り上がるわけだが、本作におけるインタビューの場面は(ケヴィン・ベーコン演じるニクソンの側近も示唆するように)完全にボクシングを模していて、フロストも何とか相手を出し抜き一発かまそうとするものの、ニクソンは実に老獪に逆襲し、返り討ちをくわせる。

しかし、夜中にニクソンからフロストにかかる一本の電話が転機となる(現実にはこうした電話はなかったようだが)。これがフロストを奮起させるのだが、それ以上に興味深いのはニクソンが、成功への執着という点で二人が同じであり、自らを駆り立てる原動力がコンプレックスに起因することを語っていること。

成功の執着という点で二人が共通するとして、それでは二人の違いは何か。それはやはり人間的な陰陽だろう。それだけで勝ち負けが決まってはたまらないが、それが引き寄せるものは確かにあると思う。それが分かるだけに、最後のインタビューでニクソンが浮かべる失望、後悔、自己嫌悪が入り混じる表情が際立つし、それにある種運命的なものを感じるのである。いや、フランク・ランジェラの演技はお見事。

本作は元々舞台劇だったはずだが、二人のやり取りとなると照明が暗くなるなど二人の対決にフォーカスする心配りの利いた演出は見事で、映画としていささか手際が良すぎるきらいはあるものの、ロン・ハワードは本当に優れた監督だなぁと感心した。

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