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アイリッシュマン

土曜夜に少し離れたところにあるシネコンまで車を飛ばして観た。

あと数日したら Netflix で観れるのにバカじゃないかと言われそうだが、『ROMA/ローマ』が映画館で観てすごく良かったというのもあり、監督や主演陣全員が全員70代後半、日本でいうところの後期高齢者であり、特に20年以上ぶりに実現したマーティン・スコセッシロバート・デ・ニーロの黄金コンビの新作を観れるのもこれが最後かもと思うと、やはり映画館で観ておくべきと考えた次第である。

映画館で観れることがほとんど宣伝されていない、変則的な上映作品をレイトショーで誰が観るのかと思っていたら、前列に年輩と思しき方が何人もいて、こちらは Netflix など知らん、という層だろうか。

というわけで、Netflix 配信前の映画なので、未見の方はご注意いただきたい。

マーティン・スコセッシはワタシにとってもとても大きな存在である。が、彼が得意とするマフィア映画は、ワタシにとって生理的に苦手だったりもする。何よりもいきなり銃で撃ち殺されるのが怖い、とこうやって文章にするとバカみたいだが、本当のことだから仕方がない。

この手の映画はワタシに緊張を強いるということだが、しかも本作は3時間半というベラボウな上映時間である。さらには(Netflix での配信前提なので)『ディア・ハンター』や『2001年宇宙の旅』みたいにインターミッションもない。これは神経的な疲労だけでなく、ワタシの膀胱的にも無茶としか言いようがない。膀胱がエンドゲームどころの騒ぎではない。

しかし、終わってみれば尿意など問題ではなかった。3時間半という上映時間、冗談抜きでそういうのをまったく忘れさせてくれる映画だった。見事な作品なのは間違いない。まぁ、予想通りバンバン人が撃ち殺されて、ワタシはそのたびに強張ったわけだけど、一番緊張したのは銃でなく、車のあの場面だったかな。

てらさわホークさんが、スコセッシの映画の登場人物を狂人、悪人と、彼らとの付き合いのなかで神経をすり減らす苦労人の三種に分類していたが、それに倣うなら、本作では狂人が全米トラック運転組合の委員長だったジミー・ホッファを演じるアル・パチーノ、悪人がマフィアのボスのラッセル・ブファリーノを演じるジョー・ペシ、そして苦労人が本作の主人公たるフランク・シーランを演じるロバート・デ・ニーロになる。

本作では(主に主人公に殺されなかった)登場人物についてもいちいちその最期についてキャプションが出て、それがまた見事に頭に銃弾を3発ぶちこまれたり、爆死させられたり、懲役100年くらったりと悪い奴らばかりなのだが、その中でも主人公はまぁバンバン人を殺すし、ジミー・ホッファは酒を飲まなくても狂っている。

本作でも丁寧に説明してくれるのだけど、ホッファについての事前知識があったほうが良いのは間違いない。往年の作品におけるデ・ニーロ、『グッドフェローズ』におけるジョー・ペシがそうであるように、スコセッシの映画では「狂人」がもっとも輝いており、それは本作も同様だった。アル・パチーノがホッファを演じることで、久方ぶりにスクリーンで本領を発揮してくれた。

しかも、ジミー・ホッファはホテルの同じ部屋で寝るくらい主人公のフランク・シーランを信頼していて、つまりはパチーノとデ・ニーロが全然豪華でない普通のホテルの部屋で、ベッドに腰かけて会話するところまで観れるのだ。最高じゃん。

本作の制作はかなり難航したことで知られる。スコセッシとデ・ニーロの黄金コンビがマフィアの映画を撮るのになんで制作費で苦労するの? 別に SF 映画撮るわけでもないのにと不思議だったのだが、上記の通り後期高齢者たちのキャストたちの若い頃を演じさせるための特殊効果のためと知って驚いたものだ。

それが効果を発揮しているかというと……割とどうでもよかった。結局はデ・ニーロが気張って中年期を演じているようにしか見えなかった。ワタシはデ・ニーロが、パチーノが、ペシが存分に演じる姿を観たいのだ。やはりスコセッシの映画に久方ぶりに登場のハーヴェイ・カイテルの見せ場が一つくらいしかなかったのは残念だったが、その点においてワタシが観たいものを見せてくれる映画だったのだから文句はない。

というか、いくら役者の外見を映像の特殊効果で若く見せられたとしても(ワタシはそこまで成功してないと思うが)、演出のテンポが老人仕様なのは隠しようがない。本作を観ると、MTV 世代の技法を取り入れながら真っ向勝負し、さらにはチャカチャカしたカット割りだけで主人公の麻薬中毒に観客を巻き込む演出をした『グッドフェローズ』って本当にすごい映画だったんだなと再確認したりもした。

本作と『グッドフェローズ』は違う。一緒にすんなと言われるだろう。確かにその通りだ。本作では、主人公がさんざん悪いことをやらかして逃げおおせた『グッドフェローズ』の先にある、悪いことをした奴らの老境まで描かれている。特に主人公の娘に対する悔恨は胸を迫る……と書きたいが、それほどでもない。

本作において、主人公、ラッセル・ブファリーノ、そしてジミー・ホッファの妻たちも画面に登場する時間自体はそれなりにあるのだが、彼女たちの人格が彼らに尊重される場面は皆無である(主人公の離婚と再婚など台詞一行で片付けられる)。スコセッシが意図したかは分からないが、本作もまた「有害な男らしさ」が必然的にもたらすものについての映画でもある。

なんか辛いことばかり書いてしまった。ペシとデ・ニーロが会話する場面で『ゴッドファーザー』のテーマ曲っぽい旋律が流れるはやりすぎだと思ったが(もしかしてテーマ曲そのもの?)、スコセッシが監督し、デ・ニーロが主役を張るマフィア映画の傑作をまた観ることができた。『グッドフェローズ』や『カジノ』を映画館では観なかったワタシがずっと望んできた映画を、しかもこれだけ力の入った作品をしっかり観れてワタシは満足である。ワタシの家のしょぼいテレビでも再見するつもりだ。

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