Rubyist Magazine 最新号の Rubyist Hotlinks に id:essa さんが登場している。
実は先日氏とお目にかかる機会があった。当方は田舎に隠棲しており、一方で essa さんもある意味「圏外」にお住まいなため、そういう機会を半ば諦めていたので大変ありがたく思った。
こうした社交は誇張されて語られがちだが、一度会ったぐらいでその人の人となりが分かるものではないし、実際に話をしたからといって影響を受けるというのは(少なくともワタシの場合)ない。
ただその日は近くにいた横田真俊の声に気が散って(ということにさせてもらう)思うことを適切な順序で話せず、失礼なことをいくつも口走ってしまった覚えがあるので、改めてブロガーとしての氏について思うところを書いておく。
氏の文章は圏外からのお便り時代から読んでいるが、特に圏外からのひとことに場を移してからの自在な文章には本当に驚かされてきたし、一種の恐怖すら感じることもある。
氏のブログの特徴として、その思い切りの良さである。ワタシもそうだが、やはり誰でもバカにされるよりは賢く見られたいものだ。だが、そうするとどうしても防御的になり、いくら柔軟なフリをしても段々と議論の切れが鈍くなる。件のインタビューでは「オカルト」についての言及があるが(余談だが、これはワタシも結構好きだ)、essa さんの場合、極端に言うと「電波」だとか「トンデモ」に分類されがちな視点も恐れることなく採用し、対象を切り込んでみせる果敢さがある。
失礼を承知で年齢的なことに触れると、氏が40台後半であるのを考えるとこれは大変なことだと思う。何を書くにもいちいち興味はないがと前置きするような真似はしないし、またボクちゃんは君たちの知らないことをいろいろ知っているんだよ、でもそれはこんなとこには書かないけどねといった優越感バトルとも無縁である。氏の文章の語り口は飽くまで平明で、「企み」を感じさせながらも対象への好奇心とそれに取り組む意欲が伝わる。
また氏のブログには、自身の過去ログからの引用の面白さがある。過去ログの引用は、普通一度行った説明の省略や自身の主張の一貫性を示すことを目的にするものが多い。もちろん氏の場合もそれはあるが、それ以上に過去ログの文章を補助線、時には跳躍台にして予想もしないほうに議論が飛ぶこともある。その跳躍こそが語り口の平明さと対照をなすダイナミズムにつながっているのではないか。
そしてその跳躍は斜め上にすっ飛んでしまうこともあるものの、そのとても個性的な文章をこれからも読み続けたいと一読者であるワタシは願うわけである。