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「マニックスとは俺である」と書かしめたマニック・ストリート・プリーチャーズのデビューの頃

先日文化系トークラジオ Life の次回放送予告編を聞いていて(本日オンエアですな)、黒幕長谷川プロデューサーが、鈴木謙介さんの書籍の担当者がかつてロッキング・オンに「マニックスとは俺である」というすさまじいタイトルの文章を投稿していたというのを話していた。

実はこの話は、3月に Life の花見で長谷川プロデューサーから伺っていた。ワタシはそのタイトルを聞いて、「覚えてます! ほら、リッチーが頭を抱えた写真が脇に載ってたヤツでしょ!」と記憶が鮮やかに蘇って大盛り上がりしたものである(長谷川さんや上林さんから他にもかつてのロキノン関係者の話を伺ったのだが、それはまたいずれ)。

ところで長谷川さんにお会いするたび、氏から「いやー、yomoyomo さんの文章を読んで、自分がロキノン読者だったのは間違ってなかったと思いました!」と言われるのだが、い、いや、それはどうかと……

さて、マニック・ストリート・プリーチャーズである。彼らが「世界中でナンバーワンとなる二枚組アルバムを残して解散する!」と宣言してデビューしたことは知られているが、ロキノンにはじめて掲載された(1991年4月号)彼らのメロディー・メーカーでのインタビューの冒頭で、ニッキー・ワイアーが「二十年にわたるロック・キャリア、なんてものにも全く魅力を感じていない。そっちの方が病気だな」と語り、インタビューの最後あたりでリッチー・エドワーズが「そう、俺達は失敗そのものだよ。で、それがたまらなく腹が立つんだ」と語る姿から、現在の地位までくるなんて文字通り誰一人予想しなかったろう。

次にgoogle:4REAL事件直後のリッチー・エドワーズのインタビューである(1991年9月号)。インタビュアーは言うまでもなく岩見吉朗だ!

そのうちこっちの言う事には全く耳を貸さないって状態まで舞い上がってたから、『こいつのお粗末な脳みそに叩き込むには理性的な方法じゃ駄目だ。何か原始的なショックでも与えなきゃ』と思って……そしたらふと足元に落ちてる使い古しのカミソリの刃が目に付いたんだよね。痛みは全然感じなかったな。奴の目の前に左腕を突き出してゆっくりと言い諭すように『4REAL』と彫り込んでやったんだよ。そしたらアッと言う間に血が噴き出して奴は色を失ってわめき始めた。それを聞きながら僕は、肉体の断面ってこんなに綺麗なものだったのか……自分の中にこんなにも大量の血があったのか……と一種不思議な気持で見とれてたね。

今読んでもすげぇ……そして、1992年7月号、初来日公演を果たした彼らは表紙を飾る。そこに書かれた文句は、「さらば、マニックス」だった……

インタビューでニッキーは「日本のファンは、これまで出会ったファンの中でも一番よく僕達のことをわかってくれていると思うよ」、ジェームス・ディーン・ブラッドフィールドは「僕達にとって、日本でこうして好かれるのはものすごくしんどいことでもあるんだよね(中略)この僕達が謙虚な気持ちにさせられたりもするし(笑)、そんなの全然、心の準備がなかったよ」と日本のファンの熱烈に好意的な反応にとまどい、ニッキーは翌月の7月号に「初めて知った”生きる尊さ”」というすごい題の文章を寄稿している(これは編集部が勝手に付けたのかな?)。

後に彼らは解散宣言を撤回し、『The Holy Bible』という傑作を発表後にリッチーが失踪し、その後……と続くのだが、それはまた別の話である。

Forever Delayed

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