- 出版社/メーカー: アミューズソフトエンタテインメント
- 発売日: 2005/01/28
- メディア: DVD
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以前町山智弘さんが紹介していて興味をもった映画だが、先日テレビの深夜放送でやっていたので録画して観てみた。
本作はオハイオ州クリーブランドで暮らしながら、自らの冴えない鬱屈した毎日を題材にしたコミックブック『アメリカン・スプレンダー』を作るハービー・ピーカーの物語である。正直傑出した映画とは思わなかったが、ワタシは好き。
ポール・ジアマッティがハービー・ピーカーを演じているが、ピーカー自身も映画にふんだんに登場する。レターマンショーに出演する映像をみると、ピーカー本人のほうがジアマッティよりも破壊的な印象がある。
劇中ピーカー本人に、夫人であるジョイス・ブラブナー本人が、ユーモアのセンスのある人だと思ってたのに、物事のネガティブな面ばかり強調して……と嘆く場面がある。まったく同じ傾向のあるワタシとしては、「人生はかくも愛おしく、そして哀しく、去りがたい未練の場だ」というピーカーの言葉に深く肯いてしまう。
ワタシが本作を観て思い出したのは、小林秀雄が「読者」というエッセイの中で書いていたサルトルが感じたアメリカ文学への驚きである。
作品とは、めいめいの孤独を発表する手段だと慣れて来たが、アメリカに来てみると、事はあべこべらしい。例えば、西部で農場を経営している一人の女性が、孤独に堪えかねて、或は、自分の孤独の独創性を単純に信じ込み、これをニューヨークのラジオ解説者にぶちまけたら、どんなにせいせいするだろうと考える。アメリカの小説家のやり方は、ほぼこれに似ているらしい。つまり、作品とは、孤独から解放されんが為の機会なのである。
ピーカーにもロバート・クラムと友人だったという幸運があったが、『アメリカン・スプレンダー』により金持ちになったわけではなく、彼のファンであるジョイス・ブラブナーと結婚できてもそれでハッピーエンドではない。ピーカーの癌闘病が後半のメインになるが、そのあたりについてポール・ジアマッティの役作りに疑問を感じた。
真性オタクのトビーがピーカーに映画『ナーズの復讐』を語る場面は素敵だったし、ラストでピーカーの退職パーティにそのトビー本人がケーキを持って現れ、ピーカー、ブラブナー、そして養女の三人が抱き合う場面にはほろりときてしまった。