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遂に『ブレイキング・バッド』を最終回まで観たぞ!

えーっと、どれくらいかかったかはもう忘れたが、『ブレイキング・バッド』を最終回まで観終えた。

ワタシは破壊屋さんと同じく、基本的に映画は字幕派、テレビドラマは吹替派なのだが、『ブレイキング・バッド』は、初めて観たのがウェブにおける初回の無料視聴で、それが字幕だったので、以降ずっと字幕だった。

こと『ブレイキング・バッド』に関してはそれが正解だったと思う。そもそもジェシー・ピンクマンが多用する "bitch" を吹替ではどう置き換えていたのだろう?

ロバート・アルトマンの復活作『ザ・プレイヤー』について、ハリウッド映画が成功するストーリー上の3つの条件(かなりうろ覚え)、ハッピーエンドで終わる、主人公は危機を乗り越える、悪人は報いを受ける、をハリウッドに対する復讐の映画、しかも主人公が悪人という条件で見事に満たしているという評を読んだ覚えがある。

これは実は『ブレイキング・バッド』にも完全にあてはまるように思う。あれをハッピーエンドかというと普通はあてはまらないのだけど、あのドラマを5シーズン見続けてきた人間からすると、そうとしか表現のしようがない。

肺がんに冒された高校のしがない化学教師ウォルター・ホワイトが、妻と子供たちのために財産を残すために覚せい剤の製造に手を染める――というストーリーぐらいは、見たことない人もご存知だろう。

そうした奇妙なシチュエーションを活かしたハードだけどブラックコメディ要素もある展開が続くんだろうなと思っていたら、ちょっと『冒険野郎マクガイバー』みたいな化学の力で窮地を脱する的な展開よりもどんどん話が深刻に突き詰められていき、そしてホワイト先生も変わっていくところがこのドラマの見所である。

しかし、ある意味それは必然なのだ。製品の品質向上、販路開拓、競合の排除などウォルター(とジェシー)の試行錯誤は、このドラマがある意味ビジネスドラマであることを物語っている。

そして、その過程でどうしようもなく泥沼にはまっていくところがクライムストーリーの必然である。こいつと取引できればうまくいく、はずだった相手にじきに命を脅かされ、ならばこいつを始末さえできればうまくいくのに……なんて都合のよい話にはならず、窮地を脱するためにはこいつらの力を借りるしかない……が、一度関わりができるとそれだけで終わるわけはない。

そうしてホワイト先生自身が、安易な視聴者の共感を呼ばないようなところまで一歩一歩踏み越えていく。ファイナルシーズンまできて、一体どういう結末になるか予想もつかず、最後の一回を残して、え? あと一回で本当に終わるの? と心配したくらいだが、完璧なフェリーナ、じゃなかったフィナーレだった。ホワイト先生はずっと家族のために悪に手を染めてきたわけだが、それに対する最後の述懐は、ファミリードラマとしての本作並びにアメリカに対する批評というか落とし前になってるように思うのですよ。

この最終回を見て思ったのはフラッシュフォワードの技法で、最終回を見てようやく合点がいくフラッシュフォワードが少なくとも二つもある(ダイナーの場面と変わり果てた自宅の場面)のに驚いた。あの時点で最終回まで見越していたということだから。

フラッシュフォワードの技法をアメリカのテレビドラマで初めて見たのは『LOST』だったが、それ以前から使われていたものだろうか?

あと最後にかかるあの曲も個人的には感動的で、下手に深刻だったり荘厳な感じで終わらせない、しかし、歌詞がこのドラマに合っているのが実によかった。

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