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帰ってきたヒトラー

原作は未読なので、それとの比較はできない。ドイツの現在の政党や政治家についての最低限の知識がないとさすがに辛いのに注意。

原作は話題になったので、本作がどういう物語かはだいたい分かっていた。そして、ある程度その予想の範疇で進んでいくのだが、この映画の面白いところは、サシャ・バロン・コーエンが『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』のモキュメンタリー手法を採っているところ(ところどころ目線が入ったり、モザイクがかかっているのはそのため)。

いきなり街中にあらわれたヒトラーに対し、ただただネタとして笑ってしまう人、露骨に嫌悪感をあらわす人たちももちろんいるのだが、彼の存在を触媒に不満を語るドイツの市井の方々がやはり印象的だった。彼らが語るのは、既存の政治システムへの不信感であり、移民への恐れと不快感であり、リベラルさとポリティカルコレクトネスを要求されることの息苦しさである。

実際の撮影は、ヒトラー役が襲撃されることも考慮し、ボディガードも待機させてたようだが、上記のことを喜んで語る人たちが多かったようで、それにアメリカにおけるドナルド・トランプ人気とかイギリスのあれとか日本におけるそれとかどうしても引き寄せて考えてしまう。それを引き出した時点でこの映画は成功なのだろう。ドイツはナチズムの反省から、言論の自由はその方面に関してはっきり制限がかかった国だが、やはりドイツでもそうだったのかと思ってしまうよね。

物語は、一度ヒトラーが「失脚」するところからメタフィクションめいてくるが、それがまさかの『脳内ニューヨーク』的展開となり、しまいには本作にも少しだけ引用されていた「あの映画」のネットでもおなじみのあの場面のパロディがくるにいたり、『グッバイ、レーニン!』を観たときにも思ったが、イギリス人はドイツ人はユーモアセンスがないと罵るが、本作のドイツ的ユーモア感覚を好ましく思った。

上記のモキュメンタリー手法の後、明らかに劇映画部分なのにこれも勝手にカメラを回しているのだろうかとちょっと怖くなるところもあった。ヒトラーはその死の時点でかなり身体にガタがきていたが、本作の主人公は、演じている人の年齢もあり壮健そのもので、そのあたりチャーミングですらある主人公の描写とあわせてひっかかったが、それでもヒトラーの本性は変わってないという描き方もなされている。本作のブラックな終わり方はよかった。

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