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クリード 炎の宿敵

昨年末から『アリー/スター誕生』を観ようと思いながらタイミングを逃すうちに年を越してしまい、本作が2019年最初の映画館で観る最初の映画になった。

『ロッキー4』(asin:B079VYHBPK)はワタシにとって思い出の映画である。ロッキーシリーズで、はじめて映画館で観た映画だからだ。当時小学生だったと思ったが、今調べたらこれの日本公開は1986年夏なので、当時ワタシは中学一年生だったことになる。

ロッキーシリーズとして考えた場合、『ロッキー4』を傑作とは誰も言わんだろうし、80年代的な政治プロパガンダ性うんぬんとけなしてもよいのだけど、それまでのロッキーシリーズを実家の小さなテレビで観たのと違い、映画館の大スクリーンで観た『ロッキー4』は、とにかくドラゴのパンチが大迫力というか怖かったのが印象に残っている。

『クリード チャンプを継ぐ男』は良い映画だったけど、続編ではドラゴの息子と戦うと聞いたときは、かんべんしてくれよというのが正直なところだった。

しかし、本作はアメリカ対ロシアといった構図は薄いし、そうでなく人生泥まみれになったドラゴがよく描かれており、ドラゴの元妻(というかスタローンの元妻でもある!)まで出てきて、まぁ、よくやったものである。

中盤に早くもクリードとドラゴの息子の対戦が実現し、どうなるんだろうと思ったら、なるほど、そういう持っていき方をするのかと感心した。そうした意味で満足行く映画にはなっていたが、『クリード チャンプを継ぐ男』にあったマジックはなかった。残念ながら。

『ロッキー・ザ・ファイナル』あたりから、このシリーズのスタローンを見るとなんか不思議な気持ちになる。本作の劇中でも、かの有名な Rocky Steps の脇にあるロッキーの銅像に観光客が集まる場面が出てくる。ロッキーの銅像は、現実に存在し、現実に観光客が集まるスポットである。しかし、本作でのロッキーは、フィラデルフィアで街灯が何年も消えたままになった地区に住む裕福でない架空のキャラクターであり、この映画はフィクションなのだ。

架空のキャラクターの銅像が他にないわけではなかろう。しかし、それまでも当たり前のように物語の中に取り込まれる映画シリーズというのはなんとも不思議である。本作の脚本はシルヴェスター・スタローンも参加しているが、正直本作は設定の大枠を別とすればロッキーがロッキーたる必然性が薄い。それでもクライマックスの後にロッキーが最後に言う台詞にスタローンなりの誠意を感じた。

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