三宅香帆さんは今最も優れた連載をしている書き手であり、東洋経済オンラインの連載「明日の仕事に役立つ 教養としての「名著」」も、正直連載名は好きになれないが、恥ずかしながら実はちゃんと読んでない古典についてその面白さをいくつも教えてもらい、とてもありがたく思っている。
ただ、さすがのワタシも読んでいる太宰治編のある回に疑問を感じた。
といってもこの回の基本的な論旨には特に異論はなく、細かい点になるが、この文章のタイトルにある太宰治と三島由紀夫の邂逅についてである。
三島由紀夫が初対面の太宰治に対して、「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」と言い放った話は実際にあったことのようだ。
手元に『太陽と鉄・私の遍歴時代』がないため、「アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ」からの孫引きになるが、三島由紀夫はその出来事からだいぶ経って以下のように書いている。
しかし恥ずかしいことに、それを私は、かなり不得要領な、ニヤニヤしながらの口調で、言ったように思う。すなわち、私は自分のすぐ目の前にいる実物の太宰氏へこう言った。
「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」
その瞬間、氏はふっと私の顔を見つめ、軽く身を引き、虚をつかれたような表情をした。しかしたちまち体を崩すと、半ば亀井氏のほうへ向いて、だれへ言うともなく、「そんなことを言ったって、こうして来ているんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ。」
三宅香帆さんはこれをそのまま受けて、「三島由紀夫に「嫌い」と言われ、太宰治が「笑った」訳」というタイトルで書かれているが、その場に同席しており、これとかなり違う描写をしている人がいる。
当時新潮社の編集者で、太宰治と親交があった野原一夫である。
彼の『回想 太宰治』がやはり手元にないため、千葉一幹氏の文章からの孫引きになるが、以下のようにある。
その酒席での話のやりとりを私はあらかた忘れてしまったのだが、太宰さんは冗談、軽口をまじえた巧みな話術で学生たちをよろこばしていたようだ。酒がまわって、座がにぎやかになってきた頃、酒をのまずひとり神妙な顔をしていた三島氏が、森鷗外の文学について太宰さんに質問したような記憶がある。太宰さんはまともに答えず、なにかはぐらかすようなことを言った。高原紀一君の記憶によると、「鷗外もいいが、全集の口絵のあの軍服姿は、どうもねえ。」と太宰さんは顔を横に向けて呟つぶいやたそうである。私の記憶に、これだけは鮮明に残っている三島氏の言葉は、その直後に発せられたのか、すこし時間がたってからだったか。
「ほくは、太宰さんの文学はきらいなんです。」
まっすぐ太宰さんの顔を見て、にこりともせずに言った。一瞬、座が静かになった。
「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか。」吐き捨てるように言って、太宰さんは顔をそむけた。
これのどちらが真相に近いのか。三島由紀夫の文章での太宰治は、「こうして来ているんだから、やっぱり好きなんだよな」といささか媚びているような印象がある。
しかし、思い出していただきたい。この時点で三島由紀夫は処女小説集『花ざかりの森』を刊行していたものの、まだ『仮面の告白』を書く前の、小説家としてほとんど知られていない時期の話である。一方で太宰治は当時の流行作家だった。その彼がよく知らぬ学生風情(事実、三島由紀夫は当時まだ東京大学法学部の学生だった)から「きらい」とかふっかけられても、お前のことなんて知らんがなとなるのが自然に思え、「そんなことを言ったって、こうして来ているんだから、やっぱり好きなんだよな」と媚びるより、「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか」と吐き捨て、顔をそむけたほうが真相に近いとワタシは考える。
この出来事の時点で、実は太宰が三島の初期作を読んでおり、高く評価していたとか伏線があれば話は別だが。
野原一夫が当時も今も誰も知らないような存在であればともかく、事実、今年書かれた千葉一幹氏の本に引用されるくらい知られている証言を踏まえずに、自己演出に長けた三島由紀夫の文章を鵜呑みにするのはどうかと思った。