正直に書くと、本作は『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』以上に自分が観に行く映画としてまったく考えてなかった。が、ワタシの観測範囲でとても強く推す声をいくつか耳にしたので行ってみた。
原作は未読だが、何しろ黒柳徹子は子供の頃からずっとテレビで見てきた人だし、彼女の人生については、満島ひかり主演の「トットてれび」も清野菜名主演の「トットちゃん!」も見ており、本作のストーリーも一通り知っていた。
個人的な話だが、ずっと両親と同世代の人が気になっていて、上皇陛下や筒井康隆が代表的な存在だが、早生まれだった父親と同学年になる黒柳徹子もその一人であることを本作を観ていて改めて思った。
本作について、やはり戦中を描いていること、そして歴史考証の確かさに『この世界の片隅に』を連想する人が多いのは不思議でないが、それよりも『君たちはどう生きるか』に似た作品ではないかという小野マトペさんの指摘を面白いと思った。
トモエ学園に通う子供たちの皆アイシャドウと口紅を施したような顔の絵柄、それがワタシ自身の好みでないのを置くしても違和感を覚えたのだが、本作の後半に登場する、トモエ学園の生徒をバカにする近所のガキどもがそうした絵柄でなかった(だよね?)ことを鑑みるに、これは明らかに意図的なものだと思うし、その絵柄が宮崎駿映画とはまったく違ったエロティシズムにつながっている。
そうした意味で、ワタシは本作に『この世界の片隅に』になかった居心地の悪さと不穏さ、さらに書けば一種の悪意を感じた。そしてその悪意は、本作が持つ不条理さと無関係ではないと考える。
消えてしまう駅の改札の切符切りのおじさんや飼い犬のロッキー、街をすごい数で一列で練り歩く国防婦人会の行列、その他にも数々のディティール――戦時が続くことで変わり、自由を失っていく街の様子や人の姿を一切の説明的台詞なしに画だけで描くところは圧巻だが、最後、空襲で焼かれた学校を前にしてつぶやく小林先生の台詞は実際のものだったようで、それにかぶさる黒柳徹子のナレーションも力強いが、正直、ワタシには正気を失ってしまった人間の言葉にしか思えなかった。暗転する画面にすらしっかり残る小林先生の赤い眼など完全にホラーで、本作の悪意を端的に表現している。
それにしても、ワタシは2023年になって、『君たちはどう生きるか』、『ゴジラ-1.0』、『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』、そして本作と、太平洋戦争がプロットの重要部分に色濃く関わる映画をいくつも観ることになった。これは何を意味するのだろうか?