『ロスト・イン・ラ・マンチャ』を観ていてむかついたのは、『バロン』がやたらと失敗作の象徴として引き合いに出されること。もちろんここでの失敗というのは映画制作に無茶苦茶疲弊させられ、興行的にペイしなかったということで、映画として失敗作では断じてない。というか、『バロン』こそ、ギリアムの最高傑作である(断言)。
はじめて『バロン』を観たとき、僕は思い出した。僕は空を飛び、深海に潜り、そして地球の裏側に行ったことがあるということを。もちろん宇宙を旅し、月に行ったことだってある。いや、それは僕だけではないはずだ。僕が言っているのは、想像力の話である。『バロン』は『未来世紀ブラジル』と同じく、人間の想像力とそれが生み出すファンタジーについての映画である。しかも『バロン』では、ファンタジーが勝利する!
『ブラジル』におけるデ・ニーロ消失、『フィッシャー・キング』におけるグランド・セントラル・ステーションでのワルツ、そして『バロン』における場末の芝居小屋が一瞬にしてトルコの宮殿に変わる場面、これらの場面の映像的カタルシスは正に言葉を絶する。黒澤明言うところの「映画になる」瞬間である。
一度廉価版 DVD を買い逃して悔しい思いをしたのだが、9月に再度手ごろな値段で出るようで(しかも Amazon なら一割引)、ようやく『バロン』が手に入ると今から楽しみである。
もう何年も前からギリアムについての文章を書くと友人に予告しながら手を付けられなかった。もう完成させられそうにないので、そこで書こうと思っていたことを一部出させてもらった。