現代音楽の巨匠、あるいは『めぐりあう時間たち』や『あるスキャンダルについての覚え書き』などの映画音楽でも知られるフィリップ・グラス……といいつつ、ワタシのようなロックリスナーが最初に触れた彼の作品は、デヴィッド・ボウイの『Low』や『"Heroes"』のシンフォニー化なのだけど。その彼が OpenAI と提携したプロジェクトに取り組んでいるのか。80代半ばにして、すごいねぇ。
フィリップ・グラスの作品をコーパスにニューラルネットを訓練したもので、このプロジェクトの目標は、アートの新しい媒体としての人工知能の能力を見極め、ひいてはフィリップ・グラスと共同で作曲を行うことだそうな。
グラスは現時点の成果として作られた音楽、そして作曲や芸術についてもコメントしている。30分弱の文字起こしはかなりな分量になるので、グラス先生が AI や芸術の創造について語る言葉を少しだけ引用しておく。
私が感心するのは、我々人間が行う判断を機械がしないことだ。我々は「ああ、そのパートいいね。もう一度聞けるかな?」と言うだろう。機械はそれをやらないけど、作曲家はそれをやる。この曲の弱点は、誰もそれを聴いていないということだ。でもね、それは重要な部分なんだ。これが機械と人間の違いなんだよ。人間には記憶があり、好みがある。人間は「それもう一度聴きたいね」と言うが、機械はそんな判断はしない。機械がやってるのは、最初にやったもののバリエーションを生み出すだけで、それだけでは満足な音楽は作れないんだよ。
ほら、ダンス作品を観ていても同じように分析するだろう? 音楽を聴くでも、詩を読むでも、同じように分析するわけだ。感情面と構造がつながっているんだよ。
作品を聴いて、人間の感情面に照らして分析・評価することの重要性である。AI はそれをやらない、と。グラスはこの後、「これがアートと感情的な方向性を持たない一連のアイデアとの違いなんだ」「機械はとても役に立つものだが、あなたが見せてくれたものは、機械の限界も示している」と語っている。
このあたりのテーマについて、ワタシも少しブログに書いたことがあるが、果たして人間と AI の共同作業はどんな新しい作品を生み出しうるのだろうか。
グラスと @auderdy のやりとりはその後も続くので、詳しくは原文をあたってくだされ。
ネタ元は kottke.org。