安吾の話になると止まらない(笑)。一応今回で打ち止め。
今回のお題は「教祖の文学」(これも『堕落論』収録……というか、この本みんな買えや!)。これは小林秀雄を激烈に批判した文章である。
しかし、ワタシが今回注目したのは「教祖の文学」の内容そのものではなく、その中で宮沢賢治の詩が引用されていることである。
ワタシ自身は宮沢賢治は好きではない。というか、積極的に嫌いである。正確に書けば、優れたものをいくつか書いているのは認めるが、明らかに過大評価されている。また宮沢賢治を好きと称する連中の妙に誇らしげな正義面が嫌いである。
そこまで書いてしまうといいがかりと言われても仕方がないしファンの方には申し訳ないが、それにしても宮沢賢治のことをお道徳の手本のように見るのは、ちゃんちゃらおかしいと思う。
で、何が言いたいのかというと「教祖の文学」に引用されている「眼にて言ふ」(遺稿らしい)だが、そうしたお道徳の手本に思っている人がコレ読んだら驚くと思うよ。つまりとても素晴らしいということ。安吾が取り上げている云々と関係なく。
安吾がこの文章を発表した時点で宮沢賢治の死後15年ほど経っていたが、当時既に宮沢賢治の評価は始まっていたのだろうか。それでも安吾の文章は、早い段階での評価じゃないのかな。
そのあたりについては(彼の評価の作為性も含め)、『宮沢賢治を創った男たち』が詳しいらしいが未読である。